「それでは失礼します」

老夫人とお互い満足のいく取引を成立させ、さらに今後の話まで取り付けてロイはその館を後にした。


帰り道、最寄の駅までの道を遠回りして、草の上を流れる小さな川のほとりを歩く。

静かな水音は考え事をするにぴったりのBGMで、

ロイは幾分肌寒いが心地よい空気の中をゆったりと歩いていた。



「やはり、里心つくとしたら……ネックは、弟か?」

父とか母とかの話はほとんどしないが、弟のアルフォンスの話は時折ふってくる。

それはロイがアルを知っているという気安さからかもしれないが、気になっているのは間違いあるまい。

(しかし……あの弟は…誘っても来ないだろうな)

一度狼男のハボックに襲わせたことがあるだけに、何かの罠と疑って、簡単に遊びに来るとは思えない。

さりとてエドが魔界に返すなど今となっては考えられない。

これは何かで機嫌をとって楽しませてやるか、と考えていたとき、それはふんわりと香ってきた。


「おや? この匂いは……」

道からやや離れたところに立つ一本の小ぶりな林檎の木。



『林檎の匂いがする』

不意にエドの声がよみがえる。

周囲に満ちるのは甘すぎず、青くさわやかですらある……野生の息吹。

「そうか、エドが言っていたのは……この…」



『魔界ってさ、ほんと甘いもんとか無くて…唯一あったのが林檎だったんだよね』

『林檎なら十分甘いだろう?』

『あー、こういうのじゃなくて、もっと初めのに近い、ちっさくてすっぱいヤツ』



たわいない会話が思い起こされ、ついでその中に含まれている真実に気づく。

(林檎の匂い……というのは、魔界が近づいているということか。なるほど、それで…)


帰る気は無いだろうが、すぐそこにあるかと思えば惹かれもするだろう。

何も考えたくないかのように体を繋げてくるエドの、落ち着かない気持ちをなんとなく察して

ロイは知らず早足となった。


*****


いつもなら出かけた先を散策して店を探し楽しみながらとる昼食も、

列車の中で食べるそっけないフィッシュアンドチップスで済ませ街にと戻る。



ハロウィン当日とあってさまざまな店が最後の売り出しで、街は大賑わいだった。



「お兄さん、お菓子はいかが?」

「綺麗なかぼちゃのランプは?」

「このゴーストはこれを引っ張るとね〜」

ギャハハハハ…と派手な笑い声を立てる飾りを横目にひたすらに歩く。



一番エドが気にいっていたスウィートショップに入り、以前来た時にどれを見ていたか記憶を手繰る。

(ええと、あの子が好きなのは、まずチョコ……。これだな。それから…キャンディは……)

大ぶりのナッツとベリーを混ぜ込んだ評判のチョコレートバーに、細いシガータイプのミントキャンディ。

これを交互にカリカリと齧るのがエドの癖だ。

(こ、れは……見たこと無いかもな)

反応見たさに、ハロウィン模様の袋に綿菓子が真っ白な雲のように封じ込まれているのを一つ手に取る。

(それから、たしか…このカボチャ型の容器の……)

思い出すままにカゴ放り込んでいけば、数分のうちにオレンジのカゴはお菓子で溢れかえってしまった。

幾分レジの女性の苦笑は気になったがおくびにも出さず会計を済ませ、ロイは早足で家にと向かった。

何せ、ハロウィンなのだ。こんな男がお菓子を山ほど抱えても許されるだろう。

(帰ったら一番にこれを手渡してやるか)


予想以上のお菓子の山に驚いて、

それからきっと蕩けそうに笑うとひとつひとつ引っ張り出して騒ぐんだろう。


その間にコーヒーとミルクを入れて、あーだこーだと二人で味見をしよう。

(……………そうとう、私も、あの子に影響されているな)

思いつく、くだらなくも楽しい予定に人知れず苦笑を口元に浮かべ、ロイが自宅への角を曲がったときだった。



バサ…ッ。

耳に届く羽音。



はっと上空を見上げれば、黒い翼が垂れ込めてきた夕闇に消えていくところで。

「なるほど、カレンダーは無くとも正確にハロウィンに門が開くというわけか」



夜に向け、人を狩りに降りてくる魔物がますます増えることだろう。

厄介なことになる前にさっさと帰ろうと、男は肌を刺す空の気配を無視して家路を急いだ。







「エド?」

何か違うと感じたのは室内に足を一歩踏み入れてから。

いつもなら駆け出してくる子供の気配が無い。



「まだ、寝てるのか?」

リビングの机にお菓子の袋を無造作に置くと、ロイは階段にと向かった。

「エード?」

呼びかけに答えるはずのベッドの上は乱れたシーツだけ。不意に帰る途中で聞いた羽音が蘇った。

「まさか…な」

外からの進入に備えた結界の陣は乱れていなかったはずだと、階段を駆け下り玄関に出る。



扉と敷石の隙間を確認すればやはりそれは無事なままで。

「出かけた……のか?」

「…しゅじ…さ、まぁ……」

考え込んでいたら切れ切れの声が耳に届いた。声を追って玄関横の花壇を見れば、そこに縮こまるアクラネの姿。

「シェスカ? どうした。こんなところで」

「えー、それはないですよ。あの子見張れっていったのは、ご主人さまじゃないですか〜」

話をざっと聞けばエドを追って出たものの飛ばれてしまい、

見失ったから諦めて家に入ろうとしたところ結界に弾かれ戻れず、潜んでいたのだという。



「で、エドは?」

リビングにつれて入り、すっかり凍えていた彼女をふんわりとしたタオルで包む。

が、それより何よりシェスカを元気にさせたのは個人的にと買い求めてきた一冊の古書だった。

「それなんですけど〜」

動けるようになった途端に本の上に移動した彼女を指で制しながら報告を受ける。

そして語られたのはロイの予想外の出来事だった。





目覚めたエドは上機嫌で紅茶とパンケーキを食べ、おもむろに黒い服に着替えはじめたという。

(黒い…服、というとあれか?)

羽根と尻尾がそのままで着れるのはその服だけで。

だからエドがそれを選んだというなら、普通に街に出るだけのつもりではない事を意味する。

ロイの胸にいやな予感が渦巻く。



カレンダーにつけた丸印。

初めてエドと会ったのは一年前のハロウィンで。

だから本当は31日のはずだけど、エドがあんまり嬉しそうだから敢えて訂正もしなかったけど。



(あれが……最後の日の印、だったりはしないだろうな……)




満足させていたとは思うが、何せ相手は魔物だ。どう考えるかなどわかりはしない。



そんな風に考えて不安になる自分が、ロイは不思議だった。

これまで飽きるほど長く生きてきて、未だにそんな感情がもてるのかと。

(離れればそれまでだと、割り切ってきたはずなのにな)




「で?」

「でって……。それから『開いたな』って言って…窓から……」

あたふたと説明しながら思い出す小さな妖魔は「あ!」と声をあげる。

「そうだ! そうですよ! 確かこの辺で何か書いてました〜」

言われ視線を床に流せば、荷物を置いた時に飛んだのか床に一枚のメモ。

『ちょっと でてきます。すぐ かえります エド』

不慣れな文字で書かれたそれは確かに置手紙で、ロイは安堵するとともに苦笑を禁じえなかった。

まるで近所に散歩に行くかのようなそれに。

(何が、ちょっとだ。魔界が『ちょっと』な訳ないだろう……)

だが口から出たのは少しばかり趣が違う言葉。



「ふん、帰ってくる気はあるわけだ。しかし、少しお灸をすえてやらないといけないかな?」

もう少しばかり手伝ってもらおうか、アラクネ。

そう、いつもの呼び名で無く呼ばれて、シェスカはロイの意図を悟った。


*****


そうしてエドの部屋の窓が微かに軋んで開いたのは、真夜中のほんの少し手前の時間。


ハロウィンも終わりかけ戻ってくる魔物たちを目くらましに、

そっと門番の目を盗んで下界にと飛び出したのだが、一瞬見咎められて。

あわてて出てきた追っ手を撒いてかわして、ようやくたどり着いたのだった。




「ふぅ……びっくりしたぁ。ま、でも、これは無事だったから…」

よかったと言葉が続く前に、

いきなり横からひゅんっと飛んできた『何か』に押されそのまま壁にと張り付けられる。


「なっ? な、に?……ぅぐっ」

持ち上げようとした喉の辺りが、更に飛んできたモノで壁に張り付けられ声を失う。

かろうじて動く左手を伸ばせば粘つく白い糸。

(これ、って……蜘蛛の? なんで?)

「お帰り、エドワード」

「ロイっ!? たすけて、ロ……」

パチンと一気に部屋が明るくなる。

と、そこには古い本を持ったロイと………。




「え? アラクネ?」



ロイの足元にいるのは確かにこの糸を紡ぐ妖魔。だけど、なんでここに?




だけど、それに答えたのは聞いたことも無いほど冷ややかなロイの声。

「ああ、おまえにはまだ言ってなかったな」

私は魔物を使役できるんだよ、と。それはエドが考えもしなかった言葉で。


「え? な、なに、いって…る、の?」

壁にアクラネの糸で腕と首、それから胴体の真ん中と貼り付けられたエドは

身動き一つままならない姿でロイを見つめた。



「そ、それって……魔使い…ってこと? え? うそ……」



「それじゃ一つ証拠を見せてあげようか。アラクネ、やってくれ」

「はぁい」

するすると天井からエドの前に降りてくるとシェスカはにっこりと笑った。

「命令だから〜、あたしを恨まないでね」

唖然とするエドの腿に着地し、そのままするすると膝まで這っていく。

「ひっ……あ、あ、や、だっ」

「あら、敏感。さすがご主人さまのインキュバスだわね」

薄布一枚の上を蜘蛛が這う感覚にエドが声を漏らすと、楽しそうに少し浮いた膝の周りをくるくると回る。

「や、やだっ…なに?」

糸を吐きながら回れば、右足の膝には白い糸の束が撒きついて。

「で、と……」

シェスカはふっと力をためると、糸を体に繋いだまま天井に向かってジャンプした。

エドの片足はいきおい膝でぐんと持ち上げられ、大きく足を開いた格好になってしまった。

その小さな体からは信じられない膂力。



「ふぅ……。と、これでいいですか〜?」

糸の束の端っこをそのまま天井にくっつけるとシェスカはするするとロイの前に降りてきた。

「ああ、ご苦労様。では帰るがいい」

「えっ!? うそ……本読ませてくれるんじゃ……」

「ああ、また今度な」

「ええ〜っ……そん、な……ぁ……」

ぱらぱらと本のページをめくると、白い霧状になったアラクネは掻き消えるように吸い込まれていった。




「ほんと、なんだ……」

「ああ、あらかたは私の祖母は封じた魔物なんだがね。……それより、エド」

「……ん?」

にっこりと笑うロイがなんだか怖い。っていうか、どうしてこんな格好させられてるんだろう。

「どこに行っていたのかな?」

「あ、それは……」



言いかけて、ふと自分の手にある果実に思い至る。小さな赤い実。



それは魔界の中心に生る林檎だった。



ロイに食べさせたくてわざわざ内緒で出かけたのだ。

勿論、地上のものより美味しい訳じゃないソレを、ロイに食べさせたかったのには理由がある。

だけど。




(なんで、帰った途端、怒った顔なんだよ?)

ロイの心配も不安も知らないエドには、この対応はとっても不本意で。

だから、つい、意地を張ってしまったのだ。ロイだって気づいてるくせにと。

それにあとひとつ。



ロイの本当のこと、教えてもらえたのは嬉しいけど……こんな風にじゃ、なんか、悔しいから。



「………しらない」

そんな意地を張ったことをエドはすぐ後悔することになるのだけれど。


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つぎ、当然18禁シーンにいきます。
蜘蛛の糸で張り付けエッチ、うふ。
ああ、でもきっとハロウィン越してしまいそう(汗

(08.10.30)

 

 

 

 

 

 

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