薄暗い部屋。

そんなに時間は経っていないはずなのに…。

ゆっくりと息を吐き、エドはもたれているコンクリートの壁に頬を押し付けた。

むき出しの冷たさに少し意識が浮上する。




目が、霞む。

散々殴られたおなかがじくじくと痛み、口の中が吐いた胃液で粘つく。

うわ…んと、音が変に響くのは、まだどこか意識が戻りきってない所為か。

(…きもち…わる、い…)

さっき、ごきりと嫌な音がした右肘は、多分外れているのだろう。

痛みで脂汗が額に滲むが、指先一つ動かすのが…辛い。

(ごめ…ん、ロイ…)

エドは心の中で浮かぶ面影に、ただ謝った。

たかだか10歳足らずの子供が軍の荒くれの拷問に耐えられるわけが無い。

それでも、頑張ったのだ。

泣き声ひとつあげまいと。

頑張ったのだ

けれど。






「ああ、覚えていていただけましたか?」

カーテンの向こうで声がする。ロイ、と話してる声。

(こないで…)

こいつらはロイを恨んでる。話の端々からそれがわかる。

なんで言ってしまったのだろう、あの番号を。悔しさと不甲斐なさでエドの目に涙が滲んだ。

(…ち、く…しょ…)

そうしてまたエドの意識は途切れてしまったのだけれど。





じゃりじゃりと車が砂礫を弾く音が次第に大きくなり、止まった。

もうすっかりと暮れた空が高い窓から覗き、知らぬうち時間が過ぎ去ったことをエドに教える。

手首を柱に縛りつけられ、ご丁寧に猿ぐつわまでされた自分の体勢に気づいたのはその後で。

身動きどころか声ひとつあげられない。ないもののように放置された自分。

いつの間にか灯りがともされたカーテンの向こうには、男たちの姿が影絵のように浮かんでいた。

 

「…、あの子はどこだ?」

聞き覚えのある声がエドの耳に飛び込んできたのは、その後、間もなくのことであった。












リゼンプールから車を飛ばして、ロイがようやくその町に着いたときは夕暮れで。

そのまま奴らが隠れそうな廃鉱跡や建物をしらみつぶしにして、探し当てたのは一時間も過ぎた頃。

隠れるつもりも無いほどの灯りと笑い声に、エドの存在を確信する。

あいつらは切り札が無ければああまで強気ではいられない。

(…ましてや私の錬金術を知っていれば、必ず近くに人質を置いているはずだ)

使うつもりの無かった発火布の手袋を握り締め、ロイは車からゆっくりと降り立った。




ドアを数度力任せにノックする。ぴたりと笑い声が止み、代わりに抑えた声での応えがあった。

誰何に応じて名乗れば開け放たれた扉の向こう、

二度と会いたくもないと思った顔ぶれが雁首揃えてニヤついてるのが見えた。

「これはこれはマスタング大佐、随分と早いお着きですな」

「御託はいい。…あの子は何処だ?」

こいつらの目的はわかっている。おおかた金か、復讐という名の八つ当たりか…。

「着いていきなりそれですか?…せっかちな…」

「私は、そうそう気が長い方じゃない。怒らせない方が身のためだと思うがな…」

言いながら手袋を見せ付けるように嵌めれば、明らかに動揺が走るのがわかった。

(そうだ、お前たちはイシュバールで見てきただろう…)

あの戦い以後使えずにきた術だが、その事実を知らぬものには充分な威嚇になる。

「さあ、無駄口を叩いてる時間は無い。さっさと返すんだ」

語気を強めれば幾分へつらうような口調になる。

「……わかりました。お探しの子は、この子ですね?」

言いながらフレイザーが背後のカーテンを開けば、そこに、ぐったりと柱にもたれた少年の姿。




「…!…エドッ!?」

「おっと、…動かないでくださいよ、大佐」

フレイザーの指示で柱の影からがっしりとした男が姿を現し、

エドに近づくとそのまま軍用のナイフを首元に当てた。ロイの足が縫い付けられたように止まる。

ぶつっ。

鈍い音がして猿ぐつわが落ち、そのナイフの鋭い切れ味をロイに教えた。

「間違いありませんか、お探しの子に?」

「うっ…ごほ…っ…」

確認の為無理矢理顔を捻り上げられ、エドの閉ざされていた喉に大きく空気が入り込み…思わず咳き込む。

ヒューヒューという呼気に混ざる、わずかな吐瀉物と血の匂い。

ロイの表情が、変わる。



「……貴様ら、なにを、した」

「なに、あまり強情なので少しばかり躾をね。…ああ、そんな怖い顔をされては…困ります」

視界の隅で自分を取り囲む男たちが見える。

「駄目ですな、大佐どの。自分の弱点を晒すような行動は…敵につけ込まれますよ」

エドの首もとのナイフがロイを縛る。

「……その子は関係ない。お前たちと俺の問題だろう。離してやれ」

「そうはいきません、焔の錬金術師とやりあおうと言うのですから…保険は必要でしょう?」

じりじりと近づくロイを横目に、フレイザーと呼ばれた男が目配せする。

「うわぁあっ!」 不意に傷めた腕を捻られてエドが悲鳴を上げた。

「それでは、まずその物騒な手袋を外してもらいましょうか」

優位に立った男の楽しげな言葉が部屋に響いた。






「…だめ…っ!だめだ、ロイ…やめ、うああああっ!」

自分が人質になったばかりにロイを窮地に追い込んでしまう…。エドは必死で叫んだ。

否、叫ぼうと、した。

途端、うるさいとばかりもう一度強く握られ…肘が焼けるように痛む。

「…う、…ぅう…っ…く…」

(いやだ、いやだ…おれの、所為で。俺の、せい、で…ロイが)

「あなたが拒めば、この少年が苦しむことになりますよ」 冷たい、しかし勝ち誇った声。

「…わかっている」

手袋を外したロイはそのまま抵抗せず、真直ぐフレイザーを見つめた。手袋は握ったままで。

「抵抗はしない、お前たちの気の済むようにすればいい。だが、その子を離してからだ」





「……いいでしょう」

言葉と同時にエドを締めつけていた縄がばさりと落ちる。

「エド、そのまま扉を出て真直ぐ走れ。しばらく行けば町がある」

「…ロイ…は?」

「俺は大丈夫だ、アルたちが心配してる。早く連絡してやれ」

ドアに手を掛けたエドにロイがにっこりと笑って声を掛ける。

「……う、ん…」

帰ってきてはじめて見た笑顔。こんなときでなければどんなに嬉しかったろう。

(どうしよう…このままじゃ、ロイが…)

嫌だ、と思った。駄目だ、と。こいつらがロイを痛めつけたいのは端からわかってる。

だけど。

(…いま、俺が残っても枷にしか、ならない)

町に出て、誰か助けを呼んで来る事。それも一刻も早く。

それしか今自分に出来ることはない。

(ロイ…急ぐから…)

そうして、エドが最後に見たのは男たちに囲まれ、後ろ手に縛られてるロイの姿で。




……そのはず、だったのに。



「ああっ!?」

痛む身体を引き摺りようやく飛び出した途端、物陰に隠れてた太い腕にもう一度捕まえられる。

「な、なにすんだ!バカやろ!離せっ!はなせよっ!!」

どんなに暴れても喚いても揺るむことなく、そのまま、また建物の中へと連れ帰られた。



そうして、見たのは。


「ロイッ!」

縛られたまま、崩れることも許さないと持ち上げられ…殴られている大事な人で。

叫べば驚きに背中がぴくりと反応する。

「約束がちがうな、フレイザー」 低い声。

「そんな事はありません。私は、言いつけどうりちゃんと『離し』ましたよ」

もう一度捕まえないなどと約束した覚えはありませんからね、そうしゃあしゃあと告げる台詞。

「うぐっ!」 反論の暇も無くロイの腹部に重いパンチが吸い込まれる。

「やめろっ!やめろ、卑怯者っ!」

エドは思わず叫んだ。

「おまえらなんか、軍人じゃない!…ロイの部下じゃない!おまえらなんか…」

「なにぃ!?」

その言葉にロイを殴っていた男たちの形相が変わる。

次の瞬間、どさ…と、床に投げ落とされ蹴りつけられ、息が止まった。

(…やば…)

叫んだ言葉が男たちの逆鱗に触れた。言ってはいけない、何か。

それを悟り、エドは再び襲ってくる痛みを覚悟する。

「俺たちが…軍人じゃない、だと」

が…。

男たちの標的がエドに移るかと思われたその時、背後から嘲るようなロイの声がかかった。

「は!…そのとおりだから仕方あるまい」

子供にまで見抜かれるようでは、救いがないな、と。

 

エドにと伸びかけた拳が再びロイにと向けられる。

「言ってくれるじゃないか、イシュバールの英雄さんは、よぉ」

「誰のおかげで、俺たちが除隊されたと思ってるんだ?!」

交代で数発。がくりと垂れた顎を力任せに持ち上げられ、ロイの口から血が流れるのが見えた。

それでも、ロイの舌鋒は緩まない。

「誰?…お前たち、自分のやったこと、覚えてないとでも言う気か」

口に溜まった血を吐き出し、怯むことなく周囲を睨みつける。

「たかだか12にもならない少女を…皆で慰み者にして、殺すのが…軍人のやる事か!?」

(え?…なに?…慰み者、って…)

理解した事実にエドは愕然とする。こいつらは…そんなことを平気で。

「………これだから、戦場を知らないエリートは困るのですよ」

エドの驚愕を嘲笑うかのように、直ぐ傍に立つあの男が口を開いた。

「相手はたかだか反乱軍のゲリラじゃないですか。

 そんな事にいちいち目くじらを立てていては戦いには勝てないんです」

兵達にも息抜きくらい必要でしょう?…それをあなたが騒ぎ立てるから…と。



言葉の合間にもロイの身体には無情な暴力が叩きつけられ、

フレイザーが口を閉じた時、支えを失ったロイの身体はがくりと床に崩れ落ちた。

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ロイ、大ピンチ!!
硬質な話は楽しいけど書くのに時間が…。

 

 

 

 

 

着声台詞がお題でした。

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