はぁ……。

思わず口から洩れたため息が、予想外に大きく響いてエドは周囲の気配を窺った。

(やば…)


周囲といったところで深夜過ぎの宿屋の一室とあって自分以外は弟しかいないのだが

この弟が鎧となってから眠れない存在になっているうえに、妙に勘がいいから困りもので。

どう考えてもおかしいここ数日の兄の様子に、不審(というか疑問)を抱くのは時間の問題だと思われた。

案の定、隣のベッドから、それでも気を使ってか潜ませた声が問いかけてくる。

「もう寝てる? にいさん」

「……いいや」




【 M に捧げる New Year 】






前置きのような問いかけに、エドはふぅと大きく息を吐きだすと、ベッドの上に起き上がった。

どうせ眠れやしないのだから、この際誤魔化しても仕方ない。

その姿を見てアルも鎧の音が響かないようにゆっくりとベッドに座り込む。


「……。あのさ、何か心配な事でもあるの?」

いきなりストレートな問いかけ。

単刀直入なそれに、やっぱりバレてたかと肩をすくめる。

「あー、心配ってわけじゃなくて……」

はぁ、とエドは再び小さく息を吐く。


「なんかさー、ここんとこ変なんだよ、俺」



ここはいっそ吐き出してしまった方が落ち着くかもしれないと、

寝不足と慣れない悩みに煮詰まる余り兄がしゃべり始めたのは、

弟にとっては一番予想外の方向の内容だった。





「変って、どこが? 体調でも悪いの?」

「そうじゃなくて。ああ、でもやっぱそうなのかもしんねぇ」

ぶつぶつと呟いて「ん〜」と、眉を顰める姿は、なんだか子供の頃のままでアルはこっそり苦笑する。

自分でも掴み切れていない事を話す前に考え込むクセ。

こういう時は静かに待っていれば、そのうちしゃべり始めるのがいつものパターンだ。


「や、だからさ。……この宿に来る前に買い物したろ?」

「ああ、あのおっきい店ね」



軽装が身上の旅だが、ここ数日急に冷え込んできた天候に耐えかね

いくつかの防寒用品とアル用の油を求めて、品揃え豊富な大きな商店を探して入った。

そこで暖かいコートやなんやを買い、ついでにこの宿を勧めてもらって泊まっているわけだが。


(あそこで…なんかあったけ?)

広い店内は西部の中心から離れているとはいえ、なかなかの賑わいで、

特に新年を控えたこの時期、家族連れが多かったと記憶している。

(特に不審な人とかも、いなかった気がするけど……)


アルが店での様子を思い起こしていると、突然「あーっ!」と呻いてエドがぶんぶん頭を振った。

「に……にいさん?」

と思うと、今度はがっと頭を抱えてベッドに沈む勢いで突っ伏す。


「し、信じらんねぇ、俺…。おれってばああああぁ……」



どうやらアルの声も届かないほど自分の世界に入っているらしい。

何を言い出すかと、アルは固唾をのんで兄の姿を見守った……ところが。



「あ、あそこで、おれ。気がついたら『あー、この上着、大佐にすっげぇ似合いそう』とか、考えててーっ!」

「ああー、そっちの話ね」

思わず棒読み口調になったが、兄は気にもなっていらしい。


(なるほど〜、大佐がらみか。でも……珍しくない?)




実際、大佐から口説かれて恋人になったと報告された時は、天変地異でも起きたような気分で。

でもその後、あんまりにクールな二人の距離感に騙されたのじゃないかと思ったのも事実。


『だって、しょーがねぇだろ。俺は旅で忙しいし、大佐だって仕事あんだから』

『まぁ、鋼のはこういう性質だからね。納得するまで見守るしかないだろう?』

自信満々で答える兄と苦笑する大佐を目の前にして、

とりあえず男として大佐に同情したのはもう一年以上前の事だ。




(ふぅん、あんだけ恋愛音痴だった兄さんがねぇ……)

とりあえず吐きだしたがってもいるようだしと、アルは興味半分で水を向けることとする。

「え、なんで? それがどうしていけないの?」

「だって、だってだぞ!? おまえ、俺が、そんな……これ着たら大佐カッコいいだろうなとか、

見てみたいなとか……、そ、そんな…まるで彼女みたいなこと…」

「えー、性別は違うけど恋人なんだから、そのくらい当たり前じゃない」

「やーめーろーっ! こ、こいびとっ…とか、そんなこっぱずかしい。う、わあああぁぁぁぁっ!」

アルの言葉に目を見開いたかと思うと、横にあった枕をがしっと掴み

ごろごろごろとベッドの上をのたうちまわっている姿は、どう見ても話の内容ほど色っぽくはないのだが、

金髪の隙間から見える真っ赤に染まった耳が、一応恥じらっているのだと教えてくる。


「なんでさ? お互い好きで付き合ってたら『恋人』なんじゃないの?」

アルの追い打ち。

むしろ今までの兄さんがおかしいくらいだよ、と淡々と語られると、なんだかそんな気がしてくるから不思議だ。

「……そ、そういう、もんか?」

ひょこっと枕から半分顔を出し、上目づかいで聞いてくる姿は弟の目にも凶悪だと思う。

(まったく、大佐って……気の毒だよなぁ)

心に浮かぶいらぬお節介はおくびにも出さず、

アルはこの機に乗じて少しばかり揺さぶりをかけてみる事にした。

「そうなんじゃないの?」


僕はまだよく知らないけど、と前置きした上でなるべく口調を抑えながら口を開く。

「だって、好きだから傍に居ないときにも相手の事考えたりするんじゃないのかな」

「で、でも俺…今までは、そんな事考えもしたことなかったって言うか……」

「考える必要もなかったからじゃない? ほら、今回みたいにずっと会ってない事なかったし」

「そう、かな」

「そうそう。だから、たぶん、ちょっとばかり大佐欠乏症起こしてるんじゃないの?」

「えええーっ! い、そんなの、いやだっ!!」

「嫌って言われても、そういう風にしか見えないけど」






言われて焦るのは、実はエドに自覚があったから。

何でここ数日こんなに寝ても覚めても大佐の事考えてしまうのか。


きっかけは、他愛もない恥ずかしいような夢だった。

その夢の中でエドは大佐の腕をとり「俺の恋人なんだぜ」と、

東方司令部の皆やウィンリィ達に紹介して回っていたのだ。



(な、なんで…あんな夢……)

起きてすぐはぼんやりとしていたものの、いつもなら消えていくはずの夢が鮮明になるにつれ、

エドは体中が火を噴くかと思うほど焦ったのを覚えている。


東方司令部の中でも、なんとなく暗黙の了解で大佐との付き合いが受け入れられているのは知っていた。

だがそれは逆に言えば表立ってはいえない関係だからで。なのにあんな夢見るってことは。


(お、おれって、そんなに大佐の事、独占したがってるわけ?)


腕を取って皆から祝福を受けている時、どれほど幸せな気分だったかと、思い起こすほどに羞恥は激しくて。

ぶんぶんと首を振って気の迷いと打ち消そうとした……その日からなのだ。

何をしていても大佐の事はひょいと顔をのぞかせるのは。



楽しみにしていた資料を閲覧している時にすら

「これ、大佐ならどう読むかな」と思ってしまう自分に気づいた時、エドの狼狽は最高潮に達した。

そして連日、自分らしからぬ感情に悩み、振り回され、眠ると見る夢すら怖くなっていたのである。






「たいさ、けつぼう、しょう?」

「うん」

既にエドの頭からは、自分が弟と話しているのとか兄としてのプライドがどうとかは吹っ飛んでしまっている。

突きつけられた衝撃の事実……つまり、傍から見ても自分が変だという事実に。



「い・や・だーっ! こんなん俺じゃねぇ!」

あんまりな結論にグリグリと頭を枕に押し付け身を捩って否定しようとする。

「まぁでも、恋なんて脳内物質の異常分泌なんだから、自分らしくない事もあるんじゃないかなぁ」

見かねてアルがそう告げれば、ピク…とエドの頭が揺れた。

「脳内物質……の所為、……確かに。でなきゃ、俺がこんな風になるなんて説明がつかない」

こんな時にも知識で攻められると納得してしまうのが天才錬金術師たる所以かもしれない。

だが今回に限って言えばそれはもう、はっきりくっきり都合のいい言い訳を見つけた子供であった。

「そうか、脳内ホルモンの異常分泌……」

それじゃ、別に俺がおかしいってわけじゃないのか……。論旨をすり返る兄をにこやかにアルは見守る。


「うん。だからやっぱり無理に抑えるのはよくないと思うんだよ」

にこにこにこ。

「どう、ここはいっそ…その服買って大佐にプレゼントしちゃえば?」

「え、えええええええーっ! 無理っ!」

「なんでさ。ほら僕たちの後見人でもあるわけだし、もうじき新年じゃない? ニューイヤーのプレゼントって」



日頃から大佐に対して余りにそっけない言動の多い兄である。

一時は複雑な思いも抱えたアルだが、身近で見てきた分、

兄が口で言うよりもずっと大佐を好きなのはわかっている。

とりあえずどういう心境の変化かはわからないが、ここは押すべきだと判断して言葉を続けた。

「どうせ今年はもうイーストシティに戻れないでしょ? まだここで調べるものあるし」

「まぁ、な」

「だったらせめて送ってあげれば? カードでも添えたらきっと大佐喜ぶよ」

アルの科白にエドの顔が再び真っ赤になる。


「んなの、わかってんだ。絶対アイツ喜ぶって……。……だから、したくねぇ」

「なにそれ」

はぁ? と首を傾げれば「ううぅーっ」と唸りながら。

「だって俺、あんま何もしてやったことねぇもん。ぜってぇ喜ぶ!」

だから、やだ。と言い切られてアルはやれやれと肩を竦めた。なんというか、この兄は。


「でもさ、どんな想ってても……伝えなきゃ相手にはわかんないんだからね、兄さん」


落とされた台詞は、エドの耳には少しばかり痛い真実。




始まりが大佐からだったから、エドは追われる事に慣れてしまっていて

どうしても大佐の事を後回しにする傾向があった。


それはアルから見れば兄特有の照れや、恋愛慣れしていない事からくる反応だったので

ある意味仕方ないと思いはするのだが、そろそろ変わってもいい時期なのかもしれない。

言動の反面どれだけ兄が大佐に惹かれているかもわかっているので、弟としてはヤキモキするところで。


「あのさ、兄さん。こんな事いいたくないけど、あっまりそっけなくして大佐が諦めてもしらないよ」

ついそんな風にくぎを刺してみたくなる……のだが、返ってきたのはさらに斜め上からの返答。


「諦めたら、諦めたでいいんだ」

「はぁ? 何言ってんの?」

「『俺がこんな好きなの判らないで振りやがって、バーカ!』って、一発殴るから」

「………ごめん、兄さん。僕にはよくわかんないよ」


いつもながら兄の思考回路は謎だ、と、アルはため息をつく。

(でも、それって多分、そんな事起きないと思ってるから言えるんだよなぁ。きっと)

そうして、そこまでの自信を与え、信頼を勝ち取ってしまった黒髪の大佐に、

アルは密かな賞賛と幾ばくかの同情を寄せるのだった。







(そりゃ、俺だってそういうこと、まったく気にならない訳じゃないんだけど)

恋と気づきながら、まだ自分にはその感情の渦に飛び込む準備ができていない。

それを知るからこそ、あの男は待っていてくれるのだとエドにもわかっている。

(わかっちゃ、いるんだけど……さ)


言い訳しながらどこかで揺れてる自分がわかる。

アルにはああいったものの、確かにここしばらくの落ち着かない気持ちは

自分の中で何か変わってきている証拠なのかもしれない。


(送……る?)

自分からプレゼントなんてもんが届いたら、あの男はどんな顔をするんだろう。

あっけに取られて、びっくりして。それから……あの大好きな笑顔を浮かべるんだろうか。

(そうだ、な。たまには驚かすのもいいかもしんない)

どうせ何やってたって脳内物質が暴れるんなら、それに乗るのもまた一興。

(そし…た、ら……すこし、は……おちつ…く…か、も……)


そんな風に考えているうちにエドは、意識が睡魔に絡めとられるのを感じた。

数分後、エドは深い眠りの渦の中にと落ちていったのだった。


***



翌朝。


「ちょっと散歩に行ってくる」と出かけた兄のコートに、しっかり財布が入っていた事を確認すると、

出来のいい弟は、宿の一階で頼んで電話を借りた。

「あ……中尉ですか? アルフォンスですけど…」

(とりあえず長期滞在の場合、連絡先を報告しておくのは軍人の義務だよね)

そう心で呟きながら。


きっと数日後にはこの宿の電話が鳴り、エドが顔を再び真っ赤にすることになるだろう。



宿のドアから外を覗けば、道を走って急ぐ赤いコート。

「あー、僕って本当に兄思いのいい弟だよねぇ」

半分あきれ声で呟くアルフォンスの肩に、今年初めての雪が一片舞い落ちていった。






そして訪れる

全ての心優しい人々に、幸せの笑みが落ちる朝


A Happy New Year!

ことしも たくさんいいことが あなたのうえに ふりそそぎますように……






クリスマスネタだったんですが、
よく考えれば鋼世界にはクリスマス無いじゃん
ってことでNewYearネタに変更。
け、けっして書くのが間に合わなかったとかじゃ…(汗
ネタは某嬢との電話から生まれました。えへ。
(2008.12.26)




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