偶然なんて この世には ない

 

「テツくん、なんでにらむのよー」
「は?」
ぼんやりと窓の外を見ていたつもりのボクは、突然の女子の非難の声に視線を教室に戻した。
声の主は、窓際に座ったクラスメイト。
「そんなことないよ」
「うそ。こわい顔してたもん」

困ったなと思ったけど、それすらどうもトボケているようにしか見えないらしくて。

どうしようと迷っているうちに、その子の周りに女子の塊が出来た。
「ああ、うん……ごめん」
どうにもならないと察し、即座に口からでる謝るセリフ。
ここで言い張っても揉めるだけなのは経験済だから。

ボクの顔の筋肉はどうやら人よりほんの少し怠け者のようで。
それに気づいたからといって、どうなるものでもなくて。

理解してほしいと思うほどに離れていく印象。
困惑していてもまるで他人事のような顔に見え、笑ったつもりでも無関心な瞳に見えるのだと。

ならば少しでも目立ちたくないと、言葉少なく、静かに過ごすようになった。
どうしても伝えたいことは、はっきりと真っ直ぐな言葉で口に出すようにした。
それが小学時代のボク、黒子テツヤの日常だった。



そして、今。

「だから……わかるのよ。バスケ部が大変なのも。でもね」
「……はぃ」
高校に入りインハイ予選も終わったある日。ボクは以前と同じように女子数人に囲まれていた。
ただ今回の話はボクのことじゃなく、同じバスケ部の火神くんについて。
「だからって、毎回掃除さぼるのは、さ」
「試合が続いて疲れてたのは知ってたから、私たちも言わなかったんだけど」
「でも、もう終わったんでしょ?」
左右から飛んでくる声。
確かにインハイ予選は終わった。
だけど、悔しすぎる負け方をしたボクたちの、練習が軽くなるはずもない。
もっとも、そんなこと言ったって言い訳になるだけだし、要するに火神くんが掃除をすれば済む話。

同じバスケ部でクラスまで同じで、しかも席が前後。だからといってボクは彼の保護者でもなんでもない。
彼に直接言えばいいのにとも思うが口には出さない。
ひとこと言えば三倍返ってきて、あげく十倍になって拡がるのが予測できるからだ。
168のボクの肩くらいの彼女にとって、たぶん190もある火神くんは見るからに怖い存在だろうし。
更に言えば、表情も態度もだってけして友好的とはいえないし。
(しかたない、んだろうな)
無表情で小柄なボクの方に矛先が向くのも、わからなくはないのだ。

それより…と、ちらり視線を落とす自分の指先には下げたままのゴミ箱。
用件が済んだなら、もう行っちゃダメかな。
ゴミ捨てだって掃除で、一応まだ終わってないんだけどボクは。
こんな時にミスディレクションが使えればいいのに。
ふと思いつき、微かに息を吐く。
だけど、きっと無理だ。
ここにボールはないし、それにどういうわけだか一定の女子はボクを必ず見つけてしまう。
(うーん、それって……もっと改善していく余地があるってことかな)
考えが横にそれたタイミングを計ったように、沈黙に焦れた正面の子が腰に手を当てた。
「聞いてる?」
聞いていないでしょと言わんばかりに問いかけられ、一瞬面倒だなと思う。
(あ、マズい)
そろそろ切り上げないと、要らない一言を口走ってしまいそう。
一瞬閉じて静かに息を吸い、それからゆっくり瞳を開く。
「わかった。いっておくよ」
だからと、口調がごく僅か強くなった瞬間、それは降ってきた。

「よう」
「わぷっ!」
いきなり後ろから頭をわしゃわしゃと撫でられる。その掌の強さと大きさには、そろそろ覚えが出来ていた。
「木吉、先輩」
「キミもゴミ捨てか、えーと、黒子くんだっけ?」
いきなり背後から現れたのは、少し前に初めて出会った一つ上の先輩。
怪我で入院していたとかで、ごく最近復帰してきた。名を木吉鉄平という。
出会ってそうそう「アメちゃん、いる?」と訊いてきたその人は、日向先輩いわく『変人』らしく。
バスケ部を作った人だと言うけど、どうにも掴めないタイプだった。
「ゴミ置き場行くのに、迷ってるのか?」
続くセリフも相変わらずのボケっぷり。
廊下を真っ直ぐ歩いた先の扉に、でかでかと貼ってある紙をなんだと思っているのか。
どうやらボクに詰め寄っていた女子も先輩の登場に毒気を抜かれたようで、ぽかんと言葉もなく突然の登場人物を見つめている。
微妙に固まった雰囲気を意にも介さず、木吉先輩はボクの頭に手を置いたまま周囲を見回し「ああ、あった。あった」と笑いかけてくる。
「あそこに書いてあるじゃないか。黒子クン、目が悪かったっけ?」
「は? え、いや……」
「まぁいい。急がないと遅れるぞ」
にこにこと笑いながら、頭から背中におりた手でぐいと押しだしてくる。軽く彼女たちに会釈して。
不意に加えられた強い力に身体が一瞬前にのめった。たたらを踏むように前に踏み出す。
「っ!」
「あ、じゃ、じゃあ黒子くん。悪いけど伝えといてね」
まるそれが合図のように女の子達はそそくさと動きはじめ、ボクは先輩に押されるまま歩きながら頷いた。

「黒子クンはもてるな」
「は?」
とんでもない勘違いな発言に「違います」と即座に声を返す。
「あれはボクじゃなくて火神くんに用があったんです」
「そうなのか?」
「はい」
うっかり会話を続けたことから、なんとなく二人並んで歩いていくことが決まってしまった。
お礼をいって先に走ることも出来たと、思いついたのはその後。
「だからって、不機嫌になっちゃまずいな」
「……?」
「まあ確かに女子からすればキミは言いやすいタイプだろうし、面倒になるのもわかるが」
真っ直ぐ前を見たまま落される言葉。
初めて会った時からそうだったけど、この人は一体何を言いだしてるんだろう。
「聞いてるだけじゃ話は終わらないから、上手く切り上げるやり方を覚えた方がいい」
「……あの」
「ん?」
「なんでボクが不機嫌だったってわかるんですか?」
「なんでといわれてもなぁ。でもそうだっただろ? 見ればわかる」
「見ればって……先輩、後から来ましたよね」
うっかり反論して、くすりと落ちてくる声に視線を少しだけ上げた。
「もしかして、オレとすれ違ったのにも気付いてなかったのか」
「…………」
先輩が反対側に抱えたゴミ箱をちらりと見れば、底にゴミの影もなく。
もしや助けてくれたのかと、どこか悔しい気分になる。
確かに面倒な状況だったけど、あのくらい自分で終わらせられた。そこまで馬鹿じゃないし。
無言で外扉まで歩いたところで、木吉先輩が背中をポンとたたいてきた。
「そう怒るなよ」
「怒ってません」
言いながら不思議になる。なんでこの人はボクの気持ちがわかるんだろう。


「先輩」
裏庭に出たところで、くるり振り向く。
向かい合えば、やっぱり見上げるほど大きな身体。
火神くんよりさらに数センチ高いはずなのに、そこから感じるのは威圧感じゃなくて。
「ん?」
なんでわかるのかと訊こうとして、思い切り間抜けな質問だと我に返り押し黙る。
「なんでもありません」
すみません、ありがとうございましたと頭を下げ、ゴミ捨て場に足を向けたところで後から声が飛んできた。
「ホント、わかりやすいな。黒子クンは」
「どこがですか」
無意識に振り返ると、その人はゴミ箱を横に抱えたままで。
「わかりやすいよ、オレには」
「…………」
「キミは確かに、感情を派手に表す方じゃない。でも感情を出さない訳でもない」
聞き慣れない評価。って言うか、そんな風に言われたことなんてない。
大丈夫かこの人はと、まじまじと見つめていたら視線が絡んだ。
「むしろ表さない分、嘘が無い。信じられる」
きっぱり言い切られ、どこか居心地が悪くなる。
「そうですか、ありがとうございます」
口から出るのは可愛げの欠片もない淡々とした声。一応褒めてもらったのに悪いかなと思うが、しかたない。
なのに。
「そう照れるな」
「照れてません」
「そうか?」
「そうです。それから、黒子クンっていうのやめてください」
「なら、テツヤ」
「もっと嫌です」
「かわりに、オレのことは鉄平でいいぞ」
「謹んでお断りします」
なんだろう、この不毛な会話は。ゴミ箱を抱えた高校男子がするもんじゃない。
「そうか。なら、黒子でいいか」
「……それでお願いします」
「気が変わったらいつでも」
「変わりません」
ゴミを、セットしてある大きなビニール袋に放りこむ。零れおちて行くノートの切れ端やパンの袋たち。
ゴンゴンと箱を打ちつけて細かいゴミまで捨てると、さっきまでの苛立ちが消えている事に気付いた。
少なくともそこだけは木吉先輩に感謝かなと、踵を返せば当の本人はまだそこに立っていて。
「終わったか、いくぞ」
当然のように掛けられた声に、嵌められたような気分になる。でも不思議だけど、嫌じゃなかった。


無言のまま、再び歩き続ける。
わかりやすいと言われたこと、信じられると言われたこと。
そういえばこの人は初対面でボクのバスケを好きだと言った。
「…………」
同じ歩調で横をあるく先輩の、投げかけてくる言葉の意図がわからず、ただボクは混乱のまま考え続ける。

「それじゃな」
言われ、教室に向かう階段の傍まで来ていたと気付いた。
このまま別れていいのか。落ち着かなくてボクは、咄嗟に思いだした疑問を口走っていた。
「日向先輩に、何か、言いましたか?」
「ん?」
言葉にした後で、そうだと実感する。まちがってないと。
「……日向先輩に聞きました。ゴール下の司令塔の話」
「ああ、コガな」
「誤魔化さないでください」
スタメンを降ろしてくれと告げに行った時、日向先輩が話してくれたヒント。
固定観念に縛られず自分のスタイルを拡げろと示唆した、木吉先輩の過去の出来事。
あの時は自分の事に夢中で気付かなかったけど、どう考えても唐突な切り出しは日向先輩らしくない。
「一年だけでの試合も先輩の指示でしたよね」
「そうだったか?」
良く覚えてないといわんばかりに肩を竦め、視線を階段に投げる。
「そんなことより、早く戻って支度しろよ。遅れるとリコ怖いぞ」
ひらひらと大きな手を振って廊下を歩いていく。飄々とした背中からボクは目を離す事が出来なかった。

「先輩も、わかりやすいですよ」
呟く声に、返る答えはない。
ふぅと息を吐き、響き始めた予鈴に階段を駆け上がる。


ボクと木吉先輩の一歩目は、そんな風にして始まったのだ。

                                           

THE END

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