STOP! くろこくん 〜ハロウィン・デート編〜
                   (注:黒子が まっ黒子さま です)

 


ウィンターカップ予選をほぼ三週間後に控えた日曜。
黒子は無表情ながら緊張した面持ちで駅の改札に立っていた。
オフホワイトのパーカーにジーンズの姿を確認するまでもなく、言わずとしれたケーキデートの日である。

約束の時間まであと15分はある。いつも待たせないギリギリ、を、信条としている黒子にしては破格の待遇。
といっても意図した訳じゃなく、たまたま、そうたまたま用意が早く終わってしまって。
そして、たまたま電車の便がよかっただけだ。
「そこまでウブじゃありません」
言い訳がましく「ふぅ」と吐く小さな息が、わずかに携帯を曇らせる。
時間を確認ついでに開いた画面には、数日前にもらったメールが映し出されていた。
『ありがとう。じゃ、日曜朝10時半に○○駅改札で』
絵文字もそっけもない用件だけのメール。
これが届いたすぐ後に『すまん、西口』だけの追加メールが届いて、なんとも先輩らしいと笑った。
こんなもの一つで幸せになれるなんて、お手軽だなと自分がおかしくなったけど、嫌な気分ではなかった。


誘われた日、即座に返事をしなかったのは、戸惑ったのも本当だが、それを口実に連絡先を手に入れるため。
そうして、ごく自然に黒子は先輩とメアドを交換した。
さらに言えば「赤外線とか、よくわからなくてな」と高校生らしからぬ発言の木吉先輩に代わって携帯を操作した時、
一瞬だけ見えたアドレス帳に女性名がないのも確認済みだ。
もちろん全部を見たわけじゃないし、見る気もない。幸運な偶然がもたらした、わずかな希望というだけ。
「だけど彼女いたら、そっちを誘いますよね」
そう考えれば、まだ自分にも可能性があるかもしれない。
たとえば今日、一緒に過ごして楽しいなとか思ってくれたら、また次があるかもしれない。
「毎回食べ放題は困りますけど」
誰にも聞こえないひとりごとを呟き、黒子は待ち人のまだ来ない構内をぼんやりと眺めていた。
次の電車は何分だったか、黒子の位置から電光表示はみえない。
でも時刻なんて関係ない。さっきからずっと、改札にどっと人が吐き出されるたび、黒子の視線は人波を彷徨ってしまうのだ。
それが上りでも下りでも。

ホームから電車の音とアナウンスが響き、また電車が着いたのを知る。
まだ早いしと期待せずにあげた視線の先、人混みから一つ抜きんでた灰褐色の髪が揺れた。
かいま見えるのは間違えようのない、木吉先輩の姿。とくんとくんと鼓動が走り始める。
黒子が来ているなんて思ってないのか俯き加減で、流れる人をすいすいとよけて歩く。
まるでバスケのフェイントをかけてるみたいな、なめらかな動き。
カーキーのモッズコートのポケットに両手を突っ込み歩く姿は、制服の時とは別人のようだ。
ざっくりとしたコートからすらりとのぞくジーンズ。
きれいな筋肉の着いた足や高い腰の位置は、練習着やユニの時とはぜんぜん印象が違っていて、目が離せなくなる。
「……かっこ、いい…」
惚れた欲目と知りつつ、歩み来る木吉に黒子の鼓動はどんどん早くなる。
あんなかっこいい人がボクと待ち合わせなんです。
道行く人に自慢したくなるほど、うれしかった。
「不思議な人、ですよね」
好みや言動が渋いせいで和風の印象がずっと強かった。
だがこうしていると、日本人離れしたスタイルや光に透ける髪の色が、どこか外人っぽくも見えたりする。
まじまじと見つめていたら、不意にあがった視線と思い切りぶつかってしまった。
「黒子」
柔らかく呼ばれる名前。やぁと手を挙げて近づいてくる姿に、小さく会釈を返した。
いつもいつも、ちゃんと自分を見つけてくれる瞳。その笑顔にどれだけ安心するか、この人は知ってるのだろうか。
心臓がドキドキする。
今自分はどんな顔をしてるんだろう。少しは木吉先輩も、自分みたいに「いつもと違うな」と感じてくれればいいのに。
今朝は早起きしてシャワーを浴びたから、寝癖も直ってるし顔色もいいはずだ。服も黄瀬くんに決めてもらったから、そこまではずしてないはず。
(大丈夫、ボクはちゃんと可愛い)
ちらりと横のガラスに映った自分を確認する。その間に木吉は黒子の傍にたどり着いていた。
「早いな、待たせたか」
「いえ。ボクもさっきの電車だったので」
「そっか」
いいながらくしゃりと髪をかき回される。離れる寸前ふと頬をかすめた指先に、黒子は息もできず俯いた。

◆◇◆◇◆

「あ、なんスか、あのしおらしい態度!」
「うっせぇよ、黄瀬」
黄瀬の独り言に、あいつの猫なんか見飽きてるだろーがと、青峰がつっこむ。
ちなみにどちらも、すこぶる小声。
「だいたいおまえ、テツのこと気にし過ぎだろ」
「えー、だって心配じゃねっスか。あの黒子っちがデートなんて」
「デート? ただ食い放題に行くだけだろーが」
「だから青峰っちは駄目なんスよ。好きな相手と一緒ならそれはもうデートっスから」
「あんたら……元気だよな」
上下で会話を交わしながら、駅の改札が見える柱の影で、三人はトーテムポールよろしく顔だけ覗かせていた。
ちなみに三段の一番下は火神で。こちらは眠そうな目をこすりながらの参戦だ。
「なんスか。食べ放題なら来たいって言ったのは、火神っちっスよ?」
「まったく情けねぇヤツだな」
声をそろえる二人に「誰のせいだよ」とぼそりと。
「ああ?」
耳聡く聞きとがめた青峰が火神をのぞき込む。視線の鋭さに一瞬ひるんだものの、そこは火神だ。負けてはいない。
「アンタらの声が大きいから、寝れなかったんだろーが!」
他人の家に泊まってるときくらい自重しやがれ、と言われた内容に思いあたって、黄瀬の耳が染まった。
「な、デバガメしたてんすか? サイテーっス、火神っち」
「あー、黄瀬の声聞いたら、そりゃ寝れねぇわ」
「って、なに言ってるんスか」
「火神が言い出した話だろ」
振り仰ぐ黄瀬に青峰は淡々と答える。文句いう相手がちげーよ、と。
「はぁあ?」
「そうっス! 火神っち! 火神っちにはデリカシーってもんが…」
「勝手に始めるヤツが非常識だろーがっ! あれはオレの家だぞ!」
「そこはスルーするのが、大人の気遣いってもんスよ」
「なに言ってやがる。先にそっちが…」
「どーでもいいけど、テツ、いっちまうぞ」
わやわやと言い争う黄瀬と火神に、青峰がぼそりと声をかける。
とたん、ばっと黄瀬が顔を上げて「行くっスよ!」と一言。
「なんだよ、話はまだ……」
「もういいッス。それより黒子っちを追わなきゃ」
素早く切り替える黄瀬に、火神は「ちっ」と舌打ちして黙りこんだ。

結局今回も火神の抗議は流されたまま事態は進み……。
この時、最後まで抵抗しなかった事を火神は後悔することとなるのだが、それはまた別の話である。

◆◇◆◇◆

ゆったりとした速度で並んで歩きながら、黒子と木吉はお目当てのホテルにと向かう。
それなりに豪華なホテルの、一階にあるケーキ屋が今日の目的の場所だ。

ロビーに入りフロントと反対側の通路へと足を進める。
(うーん、いつか先輩とあっち側にも行きたいものです)
ちらりと宿泊受付を眺め黒子は心でつぶやく。
純で初々しい初恋をしながらも、きっちり将来的な展望は忘れない。
だって健康な男子高校生なのだ。好きな人とそうなりたいと思うのは当たり前。
ただ、むける相手がちょっとばかりズレているのだけが問題だった。
今だって、すぐそばで揺れる大きな手を掴みたくて仕方ないのを我慢してるのだ。
(女の子なら、「はぐれちゃう〜」とかいって繋げるんですけどね)
さすがにそこまではプライドが許さない。偶然を装って数度触れさせるのが精一杯だ。
それだけでも、いけないことをしてるみたいでドキドキした。
いつもは集団の中にいる先輩が、自分の横を歩いている。
たった二人で、並んで。

「あー、やっぱり混んでるな」
のんびりとした木吉の声が黒子を現実に引き戻した。
みればすでに椅子に座って待つ人々。予想以上に多いそれに「少し早めに来て正解だったな」と木吉が呟いた。
「どーする、黒子」
「別にボクはかまいませんが」
「そっか?」
目的語のない会話。
それじゃと列の最後尾に向う木吉に、黒子はまず最初の小石を投げる。
「それに、待つ時間が長い方が、たくさん木吉先輩と話せて嬉しいです」
さらりと告げれば立ち止まる背中。予想外の動きに、脈ありかと様子をうかがう。
いつもなら言えない言葉を、今日はたくさん伝えてどうにか意識させたい。それが黒子の目的の一つであった。
が返された台詞は、いつもどおりの先輩。
「そうだな。確かに予選に向けていろいろ話もあるからな」
振り返り、くしゃくしゃと髪を撫でてくる表情は、どちらかというと親戚のお兄さんみたいで。
ま、そうきますよねと、小さく息を吐く。この人が並外れてズレてるのは、今に始まったことじゃない。
でも何もしないよりはましと、黒子は並んで椅子に座り次の作戦を考え始めた。

「木吉先輩」
呼びかけたところで、ふと視線を感じる。
そっと周囲を見回せば、向かいにすわる女性が不自然に目をそらした。
ああ、やっぱり男子高校生二人は目立つよなぁ。しみじみと息を吐けば、気配に気づいて。
「どうした?」
「いえ、楽しみだなあと」
黒子は完ぺきに周囲を無視して、木吉だけを見つめた。
「そうか、黒子もか。そりゃあよかった」
無理に誘ったんじゃないかと心配してたんだ。続く言葉に、ぶんぶんと首を振る。
「そんなことありません。ボクもとても楽しみでした」
先輩とは違う意味でだけど、そう告げたい思いはまだ飲み込んでおく。
なにせ相手は鈍い上にノンケだ。警戒されないように距離を縮めなくちゃ。
懐に入り込めば、そう無碍に出来ないタイプだろうと踏んでいる。そこがつけいりどころ。
なつく子犬は蹴れないだろう。

いかに作為ない自然さで傍に居るポジションを勝ち取るか。それが今日の目標の一つでもあった。
ここでもう一つ、黒子は心理攻撃を仕掛ける。すなわち。
「そういえば、ボク達ってどういう風に見えてるんでしょう」
「どうって?」
「兄弟とか従兄弟とか」
恋人と言いたい台詞は飲み込んで、目で問いかける。
先輩と後輩だけじゃない可能性が、自分達にあると意識させたくて。
だがやはり「それはないだろ」と、木吉は笑って。
「黒子が先輩って呼んでるんだから、間違えようがないさ」
「言われればそうですね」
ここまでは予想の範囲。なので、更に、一歩踏み込んでみる。
「ならもし、ボクが呼び方を変えたらどうでしょう」
「呼び方?」
何を言い出したかと首をかしげる木吉に、そっと身体を傾けて。
黒子は他の誰にも聞けない大きさで、木吉にだけ声を届ける。
「はい。木吉くんとか、おにいちゃん、とか。……鉄平さん、とか」
最後に名を呼ぶ時は、心臓が破裂するかと思うほど。
でも、一度は口にしてみたくて、平静を保ったふりで繰り返す。
「どう思います? 鉄平さん」
消えそうな声で、それでも呼ぶ名前。しかし、またしても木吉が喰いついたのは別の方向だった。
「おにいちゃん、か。それ、面白いなぁ」
今度、日向とかの前でやってみよーぜと言われ「お断りします」と黒子は冷たく言い切ったのだった。

◆◇◆◇◆

「なんつーか、すげえ度胸だよな」
ホテルのロビーに座り、エントランス方向を眺めながら青峰がつぶやく。
ちょうどガラスに反射して、店の前に並ぶ姿が見えるそのソファは、黄瀬がとっくにチェック済みの観察ポイントだった。
男子高校生が三人で座るにはやや不自然な場所。緊張もする。
だが青峰も黄瀬もついでにいえば火神も、身長や不遜な態度で私服になればそれ相応の年に見えるため、そこまでの視線を浴びることは無い。
そう。あの女の群れの中、男二人で並んでいる黒子達ほどのことは。
しかも黒子の横に座る男は、自分たちよりもデカイくらいで。
コレで隣が女子ならばデートで通るのだろうが、いかんせん、どんなに可愛くても黒子は男だ。
自然、周囲の女性たちの群れからはちらちらと視線が流されている。
なのに我関せずとふたりで話しているものだから、いつしかそこに混ざっているのが当たり前に見えてくるのだ。
「喰えねえヤツだな。木吉、鉄平だったか」
「木吉先輩のこと、呼び捨てにすんじゃねえよ」
「感心してんだよ。おまえ、あそこに並ぶ勇気あるか?」
青峰に言われ、火神も列を眺め「うはぁ」とため息をつく。
黒子が望むなら並んでやってもいいが、それでもかなりのダメージはくらいそうだ。
だが木吉の表情からはそんな躊躇いは一切読みとれない。むしろ嬉々としているくらいで。
「……あの人は、どっかぶっ飛んでるからなぁ」
「なんだそれ」
試合の姿しか知らない青峰と黄瀬が、不思議そうに身を乗り出す。
黒子が話す先輩とやらはともかく大人でカッコよく、どうにも欲目まみれであてにならない。
とりあえず覚えている限りはバスケに真摯で、ウザいくらい挫けないプレイをする相手だった。
だが、どうやらそれだけではないらしい。
「教えるっスよ、火神っち」
「いや、この前の合宿の時も……」
そうして店が開くまでの時間、火神による木吉の面白エピソードが語られ続けた。
それは二人の予想の斜め上すぎて、聞くほどに頭を抱えたくなった。
「ってか、普通バッシュと間違えねーだろ?」
「オレもそう思ったけどさ、主将が言うんだから間違いないんだよなぁ」
「黒子っちの趣味が心配になってきたっス」
しみじみと呟く黄瀬の視線の先、木吉と黒子がゆっくりと店に姿を消す。どうやら開店したらしい。
「おい、いいのか?」
「大丈夫っスよ、青峰っち」
立ちあがると黄瀬はふたりを先導して店にと向かう。
入り口で「予約しておいた黄瀬です」と告げれば「お待ちしておりました」と素早く店内に案内された。
余りの手際の良さに、青峰の男としてのプライドが少しばかり刺激される。
こういうところだ、自分より黄瀬が有能だと思うのは。
バスケに関しては絶対の自信を持つ青峰も、コートを離れればただの男子高校生で。
恋人の世慣れた部分が見える度、ほんの少し焦るような気分になるのだ。
「おお黄瀬っ、なんかオトナ」
素直に感嘆する火神と無口なままの青峰は、そうして席に着いたのだった。

◆◇◆◇◆

「すごいな、黒子。見てみろよ」
店が開き、順に席に案内される。その途中で見えるケーキの山に木吉の唇がうれしそうに綻ぶ。
黒子の思惑も知らず。
「ほら」と照れなく指さす大きな手。
顔のすぐ近くに上がったそれにときめきながら、黒子はわずかに顔を木吉の腕に寄せ同じ方向を眺めた。
ムースにタルト、パンプキンパイにかぼちゃのモンブラン。
黄色から茶色の並ぶ中、鮮やかなベリーや白いクリーム、チョコも見え、気分が知らず高まる。
パンプキンだけかと思っていたが、以外にあっさりしたモノや小ぶりなサンドイッチも並んでいる。
これなら自分でも何とかなりそうだと、黒子は心で安堵の息を吐いた。
「美味しそうです」
「だな。やっぱり来てよかった」
席につき、一応のシステムを説明される。
時間は120分。ドリンクはオーダーすれば二杯目からは決められた種類ならおかわり自由。
飲み物のオーダーをとってウェイターが去ったところで、おもむろに二人起ちあがった。
「先輩が、カボチャ好きとは知りませんでした」
ケーキに向かいながら何気なくふってみる。食べ物の好き嫌いとか基本データの一つだし。
「うーん、特にってわけでもないんだが、うちで出るのは煮付けとそぼろあんかけくらいでな」
祖母の料理は絶品なのだがそれ以外の食べ方も気になったのだと、告げるセリフが嘘でないのは手元の皿が証拠。
大きめの(それでも先輩が持つと小さく見える)白い皿の上には、南瓜のケーキが何種も置かれている。
小ぶりとはいえボリュームがありそうなそれらを少なめに、黒子はムースやさっぱりしたベリー系で皿を彩った。

「いただきます」
席に戻ってふたりで小さく声を合わせる。と、先輩が嬉しそうに微笑んで。
「やっぱり黒子はいいなぁ」
「は?」
「ちゃんといただきますが一緒に言える」
「そんなこと、当たり前だと思います」
少し照れながらぼそぼそと返した黒子をじっと見つめると「ああ、そうだ」と、木吉は自分の皿を少し寄せて。
「どれか好きなの、味見していいぞ」
「木吉先輩?」
話題の転換についていけず首を傾げれば「遠慮するな」と斜め上の返事。
「いえ。遠慮とかではなくて、ですね」
いったい何がどうしてこの会話になったのか。答えはすぐに優しい声で降ってきた。
「黒子、そんなに食べられないだろ」
「あ、……はい」
確かに自分は少食でバイキングには向かない。
今回も申し訳ないなと思いながら、でも木吉先輩が満足してくれるならいいかと考えていた。
「だからオレがとったヤツで味見して、好きだったのを取れば無理がないだろう?」
にこにこと当然のように言われる言葉に、息が詰まる。
まさか、先輩がそんなことまで気遣ってくれるとは思ってなかった。自分が女の子なら絶対特別だと勘違いするところだ。
が、これが木吉先輩の通常運転。
黒子は小さく自分を戒め「ありがとうございます」と頭を下げる。
「それじゃ、気になったケーキはそうさせてもらいます」
「ん? 全部、先に一口いっていいぞ」
「いえ、それは……」
「だって、他人の口つけたもの、苦手だろ? 黒子」
「え」
不意に指摘された事実に声を失う。
なんで? そんな素振り、見せたこと無いと思うのに。
「違ったか?」
「いえ、少しそういう傾向があるのは本当ですが、どうしてわかったんですか」
ずいぶんと強くなったつもりでいたのに、といくぶん悔しい気分で問い掛ける。
それに対して木吉は相変わらずののんびりとした口調で。
「うん。皆で移動してたときにな」
体育会系の部では飲みものを回すのは日常茶飯事だ。それはもちろん移動中でも。
「黒子って、わりと戻って来たペットとか、そのまましまうだろ」
「そうでしたか?」
「うん、そう。で、もしかしてと思って見てたんだ」
「当たったか?」そうにこにこと聞いてくる相手に、黒子は上手く反応できずにいた。
だってそれって、自分を……影が薄くて目立たないことが取り柄の自分を、ずっと見ててくれたって事で。
いきなりそんな話されて、喜べばいいのか驚けばいいのか。
一気に早くなる鼓動をうまく制御できない。
嬉しいと思ってしまうのは仕方ないけど、素直に期待していいとは全然思えない相手だから。

「というわけで、ほれ、黒子」
ずいと皿を差し出されて、そもそものきっかけを思い出す。
そうまで言われて手を伸ばさないのも悪い気がして、フォークをそろりと伸ばした。
「ん、これ、美味しいです」
「そうか。こっちのはどうだ?」
「こっちは、ボクには味が強いです。一口で充分ですね」
「なるほど、じゃ、こっちは」
「……木吉先輩、実はボクに味見させてませんか?」
「ん? そんなつもりはないが、食べてる黒子見てると楽しくてな」
「それじゃ先輩もボクの、味見してください」
際どいセリフ。だが、全然含ませた意味なんて気づきもしないで、木吉は「オレならひととおり全部食べるから平気だ」と。
宣言通り、黒子の食べた後のケーキを全て食べ終わると、木吉はふたたびケーキの山にと向っていった。
「はぁ……」
おかわりのアイスティにミルクを入れながら、黒子は遠くで揺れる大きな背中を見つめた。
隣に来た女の人になにか話しかけられて答えている。
たいした話じゃないだろうと思うのだが、苛立ちは消えない。
かき込むように残っているケーキを片づけると、黒子はまっすぐ木吉のもとに足を運んだ。
「なにか美味しいのありましたか?」
「おう、黒子。もうじき、焼きたてのパンプディングが出てくるらしいぞ」
自慢げに情報を話す姿に、黒子は珍しいほどにっこりと笑みを浮かべた。もちろん、隣りの女性への威嚇だ。
「そうなんですか。ならボクも待つことにします」
言いながらごく僅か、先輩との距離を縮める。やや意味深な距離まで。
結局、黒子はパンプディングにサンドイッチ、それから美味しかったケーキを数個とった。
その間にも木吉先輩のお皿は規則正しくケーキで埋められていく。
更に言えば、大きな手をいいことに、ジュレのグラスも三個添えられて。
テーブルに戻ったところで、木吉はおもむろに小さなスプーンを手にした。

「みてるだけで、胸やけしそうです」
「そうか? どれも美味いぞ」
そろそろ限界を訴えてきている胃袋だが、こうして美味しそうに食べている先輩を見るのは悪い気分じゃなかった。
携帯を見ればそろそろ時間も近づいている。最後の仕掛けとばかり、黒子は手を木吉の皿に伸ばした。
「いただきます」
「ふへ?」
いま木吉が食べたばかりのモンブランに、さくっとフォークを刺す。
しかも切り口に。
『他人の物が苦手』な自分が、木吉先輩の物を自分から取る。
間接キスとはいかないけど、その意味を少しは考えてほしくて。
黒子はぺろりと舌で唇を湿らせると、思わせぶりにケーキを口にと運んだ。
ほんのちょっと見開かれた木吉先輩の瞳を、じっと見つめたまま。
「おいしい、です」
一瞬の沈黙。
黒子が次の誘いをかけようとする前に、木吉が動いた。
「こっちもうまいぞ」
にっこりと微笑まれて黒子は絶句する。
なぜなら、木吉はあろうことか別のケーキを差し出してきたのだ。
しかも自分のフォークに乗せて。
「ほら、あーん」と言わんばかりの仕草。
目の前に出されたケーキを食べれば、まごうことなく間接キスだ。しかもディープ。
うそ。なにこれ。こんなこと、あっていいんだろうか。
驚きに固まる黒子に、ふっと口元だけ表情を変えると「なーんてな」と、木吉はフォークを自分の口にと運ぶ。
千載一遇のチャンスを逃したと黒子が悟った時には、もうケーキは木吉の口に消えていた。

◆◇◆◇◆

時間いっぱい食べて、夕方くらいの気分でホテルから出た外は、まだ昼間で。
むしろ今からランチに急ぐ人々の中で、黒子と木吉はもうこれ以上は食べれないと顔を見合わせる。
「ずいぶん食べたなぁ」
「……ボク、絞ったら腕から生クリームが出てきそうです」
「同感だな。オレからはきっとカボチャがでる」
大まじめに言われ、無意識に笑みが浮かぶ。
それじゃ腹ごなしに少し歩くかと、言い出したのはどちらが先だったのか。
あてもなくのんびりと、街の賑わいから離れた方向に足を進めていく。
しばらく行くと大きな池のある公園に出た。
ほとりのベンチに座って、遠くに遊ぶ子供の声を聞く。
のどかな陽射し。ここ数日では一番の好天に黒子は空を仰ぎ見る。爽やかな風に薄く浮かぶ秋特有のうろこ雲。
こうしてると、まるで普通のデートみたいだ。すぐ横に感じる木吉の気配が暖かい。
が。

「うーん、失敗したな」
不意に落とされた木吉先輩の言葉に、黒子はどきりと背筋を伸ばす。
失敗ってなんだろう、やっぱり自分じゃつまらなかったのだろうか。
それなりに話は途切れることなく楽しくできたと思っていたのだが、思い上がりだったのか?
ちらりと横を盗み見る黒子の、その視線がわかっていたかのように木吉は首を傾けて。
「本当はこの後、バスケでもと思ってたんだが……無理だ。とても動けん」
落ちてきた言葉にほっと息を吐く。そういう意味なら、確かに失敗だろう。
「そうですね、ボクも今走れと言われたら……吐きます」
「だよなぁ」
「でも、予想より美味しかったので満足です」
あんなにいろんな種類があるとは思っていませんでした。そう告げれば「うん、たしかに」と。
「ケーキは旨かったし、黒子は可愛かったし満足だな」
「は?」
今なんて言ったのだろう。聞き間違えたとしか思えない台詞。
問い直す暇もなく木吉先輩は腕を挙げ、大きく伸びをする。
「気持ちいいな」
「……はい」
どうにもはぐらかされた感覚。ほかの誰にでも通用する手管が、この人にだけは通用しない。
黒子がぼんやりと池を眺めていると、先輩がまた唐突に口を開いた。
「うん、決めた」
「なにをですか」
「今日はオレにつき合わせちまったからな。今度はオレが黒子のしたい事に付きあうよ」
言いだされた提案の意味が、咄嗟にはわからず固まる。
今、先輩はなんて?
「ボクの、したいことですか」
「ああ」
いや、そこじゃない。
それもだけど、木吉先輩は「今度は」と言った。ごく自然に。
それってつまり、またこんな時間が持てるということ。
「ああ。でも、しばらく忙しいから……ウィンターカップ明けかな」
じゃないとリコ達に殺される。言われ、まったくですと頷いてみせる。
ふってわいた次の誘いに動揺する素振りを、必死で抑えながら。

それからまた二人、ならんでぼんやりと池を眺める。無理に話さなくてもいいこの空気が、黒子にはとても心地よかった。
公園で二人きりという絶妙の状況。強引に迫ることだって出来るけど、この穏やかな時間を崩したくなくて。
「あ」
「うん?」
「思いつきました。ボクは、木吉先輩のお宅の南瓜料理が食べてみたいです」
絶品だと言い切った顔があんまりに幸せそうだったから。そう続ければ「そんなことでいいのか?」と頭を撫でられる。
「はい。もしお邪魔でなければ、ですが」
「そんなことはないが、映画でもなんでもいいんだぞ?」
「なら、それでお願いします」
もちろん黒子が単純な理由で言うはずもなく。その言葉の裏には、先輩の家に行くというスペシャルな企画が隠されていたのだ。
「わかった、ばあちゃんに言っておくよ」
「ありがとうございます」
にっこりと微笑みあう黒子と木吉の、その笑顔の意味に違いに気づいているのは、木立から見つめている三人だけだった。

◆◇◆◇◆

ひとしきり休んで話し、風が冷たくなったあたりで最寄りの駅にと向った。
まるで別れるのを惜しむように、いつもよりのんびりと歩く。それでもいつかは駅にと辿りつき。
来てしまえば、ここからは逆方向。
「今日はありがとうな、黒子」
「いえ、ボクも楽しかったです。……本当に」
「うん、オレもだ」
それじゃまた明日と改札のところで別れ、歩み去る背中を見送る。
ホームへの階段にむかい完全に見えなくなったところで、黒子はぐるんと勢いよく振り返った。

「もう出てきてもいいですよ、皆」
声をかけると、背後からわらわらと湧いて出る影。
「なんだ、気づいてたんスか」
「ケーキショップから見え見えでした」
「そうだったのか?」
「馬鹿みたいに食べていた火神くんは気づかなかったでしょうが、君達が入ってきた途端、店内の女性がざわめきましたからね」
「わかってんなら、とっとと声かけろよ、テツ」
「嫌ですよ。どうして折角の先輩との時間を、邪魔されなきゃいけないんですか」
見逃していただけでもありがたいと思ってください、と黒子は冷たく言い放つ。
「まあそのおかげで、ボク達は悪目立ちすることなく楽しめましたから、今回の件は不問にします」
強気で言い放てば、さすがに付き合いが長い青峰は黒子の表情を読み取って。
「なんだよテツ、上機嫌じゃねーか」
なにかあったのか、と聞かれ、黒子は少しばかり得意げに口を開く。
「ええ、首尾よく先輩の家に招待される事になりました」
「なんスか、それ! アイツ、手ぇ早過ぎっしょ」
「そんなんじゃありません。実はですね……」
かくかくしかじかと、黒子は木吉先輩の家を訪ねることとなった経緯を説明する。
二度目のデートが彼の家なんて、なかなかいい感じだとばかり。
「なるほど、手料理っスか」
「さすがテツ、目の付けどころがあざといな」
「そう言われたら、確かに断れねぇっス」
ワイワイと盛り上がる三人を横目に、火神は「ううん」と考え込む。
確かに常識で考えれば黒子の言うとおりだ。だが、なにせ相手はあの木吉先輩だ。一筋縄でいくとは思えない。
「……なんか、嫌な予感がするぜ」
ぼそりと落すひとり言。

火神の野性の勘どおり。
木吉先輩が、南瓜の煮つけの入ったタッパーを手に部室に現れたのは、それから一週間もしないうちだった。


                                   【To Be Continued !?】
              

ウィンドウを閉じてお戻りください

inserted by FC2 system