ロイ×後天性エド子 新婚STORY


それすらも 幸せな 日々

              〜ハッピーエンドは お約束 編



<1>



「はぁ……」

吐く溜息が、ほんの少しだけ空気を白く染める気がする。

ブリッグズ、山間部。



大佐から身を隠した俺は、あたりまえだけどリゼンブールになど戻ることも出来ず。

さりとて完全にアイツの噂がわからぬほど離れることも出来なくて、

結局、北部の街に身を寄せることとなった。うう、情けない。



でも、ま、それだけじゃなくて、

暖かい季節に向うこの時期は、北部でさまざまな工事が一気に行われるから

流れ者のような労働者が増え、新参者が目立たないのも理由の一つだ。

俺みたいな子供が混じっても、このご時世誰も気にしない。

一応落ち着いたとはいえ、地方ではいまだ戦争で家を失った輩も大勢居て

生きていくために年齢を偽り働いたところで詮索などしないのだ。

むしろそこには、必死で生き抜こうとするもの同士の

不思議な連帯感といったものすら存在していた。



「そろそろアルに電話しないとまずいかな」


大佐がもし俺を探した時、一番に連絡するのは弟のアルフォンスだ。

アイツに心配を掛けるのは本意じゃないし、ましてや探し回られても困るので

先手を打って俺は、最初にアルに電話をしておいた。

「今、どこに居るのさ!?」

どの辺りかと訊ねられた時に、咄嗟に西部だと嘘をついた。

事情があって少し姿を隠すとつげ、定期的に連絡は入れる事を伝える。

「ちょっと……考えたいことがあるんだ」

「仕方ないね。昔っから兄さ……姉さんは、言い出したら聞かないタイプだもん」

「サンキュ」



最後の電話から一週間。

公衆電話は意外に料金がかかって、ここの賃金だとそう頻繁にかけれないけど

そろそろ限界だろう。

「しゃーねぇ、今夜はスープだけにするか」

ぼやきながら工事現場から帰る埃だらけの道。

毎日くたくたになるまで動いて、食べて、寝る。

向き合わなきゃいけない事実から目をそらしたくて、俺は出来る限りの仕事を受けて働いた。

(んなことしてたって、なんにもなんねえのに……)



そろそろ認めなきゃいけない。自分が得て……失ったものを。

グルグルと頭をまわる、取り返しのつかない事実と悩み。

『逃げてばかりいても、何も始まらないだろう』

「わかってるよ、んなの」



いつもいつも、頭で響くのは、馴染んだあの声ばかり。そんな自分がすっげぇ、嫌だ。



(あーもー、むいてないんだよ、こういうの!)

俯いて見える視界は石ころしかない。そんなの俺らしくないだろ?

泣き叫んでも上を向いてた、あの頃の自分はどこに行ったんだ。

(逃げてるから、辛いんだよな……きっと)

動いてしまえば実はどうってことなく収まるのかもしれない。……例えどんな形でも。

「……おし!」

小さく気合を入れ、電話のある店先に向う。今日こそ、今日こそ……大佐にも。



「……ああ、そうだ。金髪で小柄。機械鎧の手足だ」


びくん。

自分に話しかけられたわけじゃないのに、その声に誰よりも正直に体が反応した。

聞き覚えのあり過ぎる……一日だって忘れたことのない響き。

(え!?)

どくどくと勝手に心臓が走る。

いや、そりゃ、連絡しようかとまさに今、考えたけど、

……あんまりにタイミングよすぎじゃねえ?

心の準備、着いていかないってば。


(おちつけ、おちつけ、おれ)


こんなこともあろうかと、寒い気候を理由にずっと手袋をして機械鎧の右手は隠してきた。

長い髪も帽子に丸めて入れて、なるべくぶかぶかの服で。

(大丈夫、ぜったいバレない)

慌てて動いた方が目立つから、俺はその声の方に背中を向けたまま歩き続けた。

電話は延期。今、話せるわけがない。



だが。

何でか、足音はまっすぐに俺に近づいてきて。ついでに俺の身体からは冷や汗が流れ落ちる。

(う、うそだろ。そのまま通り過ぎてくれよ)

変に敏感になった背中は、なんだかもう、アイツの体温まで思い出すよう。



願いむなしく、いきなり視界が明るく変わる。

帽子を取られたとわかったのは、金の髪がばっさりと自分の肩に流れ落ちてから。



「鋼の。こんなところで会うとは奇遇だね」

「っ!」


覗き込まれた、懐かしい黒い瞳。

まだ数週間しかたっていないというのに、なんだかものすごく久しぶりに見た気がする。

「た、……たた、た……」



そんで。


その瞳は口元に反して、言葉に逆らって、全然、まったく笑っていなかった。

(ヤバい……)

本能が瞬間的にエマージェンシーを発する。じりじりと後ずさりする身体。

「逃げるんじゃない!」

低い声で囁かれた言葉がスイッチになって、俺は脱兎のごとく道を走り始めた。



「待て、と、言ってるだろう!」

「言われて待てるくらいなら、にげねーよっ!」

「ふむ、なるほど。一理あるな」


数歩俺の後を追いかけて走り始めた男は、言うなりその足を止め、小さく指を鳴らした。

「おあっ!」

踏み出す足元で、ほんの小さな爆発。

舞い上がる砂利と埃に足をとられ、俺はうっかり転んでしまった。



「つまり、最初からこうして止めればよかったという訳だ」

にっこりと笑いながら近づいてくる気配が半端なく怖い。

そ、そりゃ、逃げたのは悪かったけど、何でそんなに怒るんだよ。

泣きそうな気分。じと目で見上げる。

と、目の前に大きな汚れた背中が幾つも立ち塞がり、俺と大佐を切り離した。



「おい、あんた。子供になにしてるんだ」

「大丈夫かい。エド坊」

「……おっちゃんたち」

現場で働くようになってよく一緒になるオジさん達が、騒ぎに気づき出てきてくれたらしい。

夕食を食べてる途中だったのか、フォークを握り締めた人までいて、

俺は状況も忘れつい泣きそうに笑ってしまった。



「ちょっと、アンタ。どこの軍人さんか知らないけどね、

この子はちゃんと許可証もってここで働いてんの」

軍服姿の大佐に幾分の反感を持って、宿屋のオバちゃんが俺の肩を抱いて起こしてくれる。

なんかもう、みんな、優しくて、弱ってる時にはしみるんだけど。



だけど、黒髪の陸軍大佐は、役者がもう一枚上手だった。

俺の寄り添うオバちゃんに手を差し伸べると、にっこりと蕩けるような笑みを浮かべる。

裏など何も感じられなさそうな、暖かな微笑み。

「それは誤解ですよ、マダム」


マ、マダムうううぅ!? なに言っちゃってんだ、こいつは。


……と思うが、そう呼びかけられたオバちゃんは、なんだかもじもじとほほを染めて。

「あら、やだわ。マダムだなんて柄じゃないですよ」

「いえ、その細やかな少年への優しさ、軍人にひるむことなく守ろうとする気高さ。

それは、まさにそうお呼びするにふさわしい資質です」



………恐るべし、たらしこまし光線。効果は抜群だ。


慣れぬ扱いと賛辞にポーっとしたところ、畳み掛けるように静かに言葉を続けていく。

「ですが、私はけして怪しい者ではありません。

彼の親族から捜索の依頼を受け探し続けていたのですから」

「親……族、だって?」

「ええ」

いけしゃあしゃあと語り続ける口調は実に誠意に溢れ、

当事者でなければうっかり俺だって信じ絆されたかもしれない雰囲気満点。


(うおおぉぉ、さすが……あの軍部で伸し上がるだけのことはある……)

って、褒めていいのか、なんなのか。

すっかり懐柔された気配のオバちゃんを筆頭に

少しずつ周囲の反応が、大佐に好意的に変わってきてるのを肌で感じる。

「ち……違、俺は……」

「うん。長いこと連絡も取れなかったから、君が信じられないのもわかるよ。エドワード君」

ただね、と、それこそ誠意一杯に溢れた……俺には胡散臭さしか感じられない口調で

その男は静かにゆっくりと言葉を発した。



「君の消息に520万センズもの金額を提示されているんだ。本気だからこそだと思わないか」


ざわ……っと、周囲の空気が揺れたのがわかる。

それを意識もしない様子で、さらに。

「君を帰るように説得してくれただけでも差し上げたいと、そこまでおっしゃってるんだよ」

ざわざわと静かに広がるどよめき。その反応に俺は大佐の意図を正確に知った。

(……このヤロー、周りに聞かせたかったんだな)



そう。ここは日雇いの労働者が多い街だ。

いきなり520万センズもの儲け話がふって沸いて、心惹かれないヤツなどいないだろう。

……というか、金額に嫌味を感じるのは俺の気のせいだろうか。

それはさておき。



この場をなんとかごまかし、切り抜けたところで、

夜寝てる間に拉致られて大佐のホテルへの直行便、な可能性は高すぎる。

乱暴なやつらなら、仲間割れして乱闘騒ぎくらい起こしそうなヤバイ気配。

そんな危険をむざむざ冒すくらいなら、今ここで自首した方がいくらかマシかも。


「………わかった。あんたの言うこと、今は信じるよ」

ふぅ……と、息を吐き立ち上がると、黒髪の陸軍大佐殿の傍に歩み寄る。

「オバちゃんたち、ありがと」

振り返れば、少々複雑な表情の人々の群れ。

いまや金ヅル化した俺に寄せられるのは種々雑多な思惑で、ちょいとばかり視線が痛い。

振り切るように大佐の良く通る声が響く。

「それでは、店主、祝いだ。ここの皆さんに好きなだけ酒を振舞ってくれたまえ」

今夜の払いは私が持つよ、との言葉にわっと歓声が上がる。



「……いいのか?」

一晩の飲み代など、いったいどのくらいか掛かるのか見当もつかず俺は慌てるけど。

「これで、少なくとも今夜、私達を襲いに来る馬鹿は減ると思うよ」

そうにっこりと笑うと大佐は、悠々とその場を引き上げて行ったのだった。

もちろん、横に俺をしっかりと連行して。


<2>

「なんで、ここがわかったんだ?」

宿に着くや否や、先手必勝とばかり俺は浮かんでいた疑問を突きつける。



だって、アル達は俺は西に居ると信じているはずだし、

北方司令部にはもちろん顔見知りも居るけど、

下町で名前を変えて働いてた俺は、知り合いに出くわした記憶もなかったから。


「君は、アームストロング少将を知らなさ過ぎるな」

「へ?」

思わず素っ頓狂な声。



少将、を、知らない!??

いや、よおおおおく知ってると思う。

赤チビ呼ばわりされたあの迫力。あの怖さは師匠と張る。

そんな目立つ相手を忘れるはずも、ましてや見損ねるはずもない。


うっかりとそう素直に告げれば、肩を竦めて。

「そういう意味ではないよ。北部で彼女がその気になれば、耳に入らない話などないという意味だ」



「もしかして……俺を、さがして、た?」

「もしかしなくとも、当たり前だろう」

まがりなりにも夫なのだからと告げられ、唇をかんだ。

正直、そんな外聞のいい話ではないし、そこまで手を尽くしてくれるとは思ってなかった。

探すにしてももっとプライベートだけで、こっそりと。

「ごめん」

「謝る必要などないさ。私が勝手にしたことだ」

少しばかり彼女に出来た借りが怖いがね、と。




「それで?」

「それで……って」

話を聞こうかとばかり、ベッドに腰掛けて見つめられ俺は対照的に俯いてしまう。

ちろりと上目で見上げれば、怒ってるというより、どこか悲しそうな瞳。

絡まった視線を解くことも出来ずに、マジマジと顔を見つめれば

どことなし痩せた気がする雰囲気と顔色の優れなさに、

ああ、本当に心配掛けたのかと胸が痛んだ。



「どうしていきなり居なくなったのか、その理由を教えて欲しい」

(ああ、やっぱり、そうくるよなぁ……)



そんなに自分との生活が不本意だったのかと訊ねられ、小さく首を振る。

「ならば、なぜ……」

「……ごめん」

どう伝えれば良いのかわからない。

自分の中ですらまだ整理できていない出来事なのに。

申し訳なさそうに膝を抱える俺を、困ったように見つめロイは困ったように笑う。

「……別に君を責めに来た訳ではないよ、鋼の」



ああもう、俺だってそんな顔させたいわけじゃない。

だけど。怖いんだ。

本当のことを知った時に、アンタがどんな顔をするのかが。



俺の沈黙をどう受け取ったのか、ロイがゆっくりと口を開く。

「実は、君が消えてすぐに中尉から気になる報告を受けた。君の体の変調についてだ」

一言一言かみ締めるように告げられる言葉。

自分の顔色が失われていくのがはっきりとわかった。


「………やはり、そうなのか?」

「なんの、こと」

とぼけて見せても声が震えてる。

「それが嫌で飛び出したのかい?」

視線がまっすぐに俺の腹部に落ちる。ぺたんこの、なにもない、そこに。



瞬時にロイがなにを考えたのかがわかって、俺は急いで首を振った。

「違う!」

確かに怖かった。逃げたかった。

でも、それすらもアンタの優しさで越えられると思った。

なのに。




「エド?」

多分、なにを説明しても理解できないだろうと、俺は静かに立ち上がる。


まっすぐロイを見つめたまま、ゆっくりとシャツのボタンに指を掛けていく。

奇妙なまでに静まり返った部屋に、金具の外れる音だけが響いた。



「なにを……? きみ……」

止めようとするロイを視線で制して、俺はシャツを床にと落とした。



冷え切った北の空気に晒される、まったいらな胸。

僅かに目の前の男の瞳が見開かれるのがわかったが、俺は止める気などなかった。

自由になった腕をそのままズボンに回してベルトを引き抜く。

滑稽な踊り子ように。



一言も発さないまま、見つめる黒い瞳。

すとんと下着までまとめ、足に沿わせてずり落とす。



白い光の中に浮き上がる、俺の裸身。



みっともないのはわかってるけど、冷静に言葉で告げることなんて

俺には到底出来ないから。

「………エド」

低い低い声。刺さるような視線が痛い。

「うん」



全てを露にした姿になったところで、俺はまっすぐにロイを見つめる。

これが、今の自分。



「……わかったろ?」



見つめるまなざしがある一点で止まるのがわかる。居たたまれない。

女の身体なら、絶対にあるはずのない場所。

でも、これはきっと罰。罪を忘れて幸せになろうとした俺への。

「エドワード。……君は……」



(ああ、やっぱり……)

痛ましげなロイの口調に、続けられる内容を察し唇をかむ。





だが。






「君は、……そんなところまで豆なんだな」

「そういう事を悩んでるんじゃねぇんだよ、俺は!!」



はっきり言って聞き間違いじゃないか、いやむしろ聞き間違いであってくれという科白。

間髪入れず突っ込んでしまい、「あああ」と頭を抱える。

多分、今、俺の髪の毛は逆立ってる、いや、絶対。

もうヤだ、この男。



「そうじゃなくてさ! 俺、男に戻っちまったんだよ? ほら、わかるだろ?」

「ああ、君の言いたいことは良くわかったから、その可愛いモノをそろそろしまいなさい」

「可愛い、ゆーな!」


緊張感台無しのまま、肩から軍服を掛けられくるくると巻き込まれる。

ふわんと自分を包むロイの香りに泣きそうになった。




「なぁ、誤魔化さないでくれよ。アンタもわかっただろ……もう、無理なんだ」

「なにが無理なのか言いたいことはわかるが、私は納得していないよ。鋼の」

そのまま自分の膝の上にすとんと抱きかかえると、髪にキスを落としてくる。


なに言ってんだ、この男は。脳みそがショックで沸いてんじゃねえの?


「……アンタ、自分が話してる事、理解してる?」

「の、つもりだが」

「自分の嫁が男とか、耐えられんのかよ」

「性別が変わったからといって、君の価値が変わるわけでもあるまい」



いやいやいや、それはどうだろう。

俺自身は変わらずとも、世間の評価とか、その……夜の営みとか、さ。



ぶつぶつと呟けば、幾分含みのある笑顔で。

「別に君が男でも、私に支障はないらしいし」

「………なに、それ?」

「つまり、こういうことだよ」

膝の上で、下から強く押し付けられる熱い塊。

え? これ……マジで?

瞬間、脳みそが沸騰しそうな勢いで熱くなり顔に血が昇るのがわかった。



「あ、あ……え、え、ロイ、こっ、こ、こ……」

「まぁ、仕方ない反応だろうな。数週間の禁欲生活の後、目の前で可愛くストリップされたんだ」

むしろ我慢を褒めて欲しいとニヤニヤと笑いかけてくる。見慣れたいつもの顔。

その表情が、今までと全然変わらなくてなんだか嬉しくて悔しい。


「信じらんねぇ。この会話の、このタイミングで、それかよ!?」


ジタバタと抗う俺を軽くいなすと、ぬいぐるみのように抱き込んでくる。

ばかっ! 首筋とか、顔埋めてんじゃねえっ!!




ひとしきり無駄な抵抗をした後、くったりと力を抜けばまるで甘えるように抱きついてきて。

のけぞる俺の耳元に、聞き取れないほどのかすかな声が耳に届いた。


「良かった。……君が無事でいてくれて」


ほんとうに、消えそうな響き。




その一言にどれだけ心配していてくれたかが透けて見え、俺は泣きそうになる。


「このくらい旅してたことなんか、幾らでもあっただろ」

「それはそうなんだがね」



中尉から体調が優れないらしいと、もしかしたらの可能性まで聞かされ不安は増すばかりで。

そういう時は心も不安定になると、更にグレイシアさんにまで脅かされたのだと苦笑する。

「中尉など、私が君にとんでもない行為を強要したのではないかとまで疑ったんだぞ」

「そりゃ、自業自得だろーが」

子供のように零される愚痴に、思わずくすくすと笑いがこみ上げてくる。

こんな優しい気持ちでこの腕の中、もう一度笑えるなんて思わなかった。



「本当に、心配したんだ」

まっすぐに何のてらいも無く告げてくる低くて甘い声は、まるで毒のように沁みこんで。

「………ごめん」

俺は心から素直に、その言葉を口に載せることが出来たのだった。


<3>


とりあえず、まぁ、場所が場所だったのと、久々の再開という状況に流されて。



「あ、あれ?」

「な? 不都合は無かっただろう?」



どういうわけだか我に返ったとき、俺はしっかりと裸でロイの腕の中に居たりした。



「不都合……って」

いや………ないと言うべきか、あり過ぎるというべきか。



行為自体は時間もかけてもらったし、何故か慣れた手際のロイのおかげで

身体は軋んで痛いものの、動けないほどのダメージではない。

ついでに言えば。

男の体に戻ったところで、俺のそーゆー事の経験値や記憶はリセットされた訳じゃないので

はっきりくっきり、感覚と心がちぐはぐなまま振り回された感じで。

「どこか、辛いところがあるかい?」

なんて訊ねられても、不平不満を言えば「嘘だろう」と断言されそうな反応だったりした訳で。



あああああああああああああ。

いっそ、気を失えればよかったのに。俺。




「だからって、なんでいきなりこうなるかなぁ」

「考えても無駄なことは、身体で実感した方が早いんだよ」

こと、君のようなタイプは。と続けられ、既に掌の上かよと、がっくり肩が落ちる。


「アンタさ、少しはこの状況に疑問を持つとか、不審がるとか……ないわけ?」

「いや、充分に不思議がってはいるさ」

言葉と裏腹に、ゆったりと髪を梳く長い指。そんな風にされるとなんだか眠くなってきてしまう。

ほんわりと夢心地でロイの肌に猫のように擦り寄る俺を、静かに撫でながら問いかけてくる。

「なにがあったか、……訊いても?」


ああ、心配してくれてたのか。俺の気持ちを。

「うん」

温もりに包まれたままの安心感で、こっくりと頷き俺は口を開いた。



「最初は、中尉の言うとおりだった……と、思うんだ」

「それは、体の変化が?」

さりげなく問われて小さく呟く。

「しばらくおかしかったし、眩暈とか……。慌てて本読んで、調べた症状と似てたし」



そう、だから怖くなった。

自分が思いもしない流れに巻き込まれた気がして。

逃げたくて、無かったことにしたくて。




「………だから、罰が当たったのかなぁ」

ようやく気持ちが追いついた時に、何故か開いた扉。

その悪夢に全て奪われてしまった。



「扉が……?」

しかし、あれが開くのは……と考え込むロイに続けて説明する。

「うん。開いたって言うか……気を失った時に気づいたらその前に立ってた感じ」

だから、本物の扉は違うのかもしれないけれど。

「そうか、なるほどな」

ロイの相槌に、違う調子を感じて顔を上げる。包み込まれた腕の中で、だけど。

「なに? なんか知ってるのか」

「いや、知ってる訳じゃない。ふと仮説を思いついただけだよ」

「仮説って……どんなの? 教えて」


知ったところで何も変わらないんだけど、現象を理性で理解したいと思うのは錬金術師の性。

食い下がる俺にロイは「あくまでも想像だけどね」と前置きして、静かに唇を開いた。



「私が思うに……君の中に新しい命が芽生えたこと。それが人体錬成に成ってしまったんじゃないかな」

いきなりの結論に、俺はつい反論してしまう。

「なんで。だって俺は一応女だったんだから、それは当たり前のことなんじゃねえの?」

女の人が赤ちゃんを産むたびに扉が開いてたら、この世界もっとぐちゃぐちゃになってるって。


「ああ、普通の女性ならね。

だが、君の身体は等価交換によってもたらされた、いわば錬成の結果の肉体だ」

それに、これは私見だがね、と、にやり笑う。

「申し訳ないが、君の身体は、おそらく妊娠が可能な変化ではなかったと思うよ」


「……なっ」

「……というか正確に言うと、女性の機能が全て備わっている訳でなく

むしろ表面的な形を整えただけといった方が正しいのかもしれない」

突然、まるで医師が診断結果を告げるように言われ、俺は言葉を失った。


そりゃ、確かに……誰よりも、おそらくは俺自身よりも詳しく

俺の身体を知っているのはこいつだと思う。だけど。


(ンな事、確認しながら……エッチしてたっていうのか!?)


俺の狼狽などどこ吹く風で、ロイは淡々と語り続ける。俺の頭を撫でながら。

「だから本来、君が母親になる可能性などなかった」

「で、でも……俺、確かに……」

検査とかはしていないけど、感じたのだ。そこに生まれた命を。

「うん。だから、なんだよ」

ありえない命が生まれたとしたら、それは人体錬成の領域に入る。

「……だから、扉が……?」

「あくまで仮説だがね」



それはもしかしたら全てを再び失った俺への労わりだったのかもしれない。

だけど告げられれば、それは真実の色味を帯びて心に広がる。

「そう……なのかな」


誰にも言ってないけど、確かに女の身体に変わった時期に一度も女性の徴は無かった。

冷静に考えれば、それで子供なんて出来る訳ない。

むしろ、この変化自体が真理の見せた幻想だといわれても納得できる。



「それじゃ俺の赤ちゃんは、初めから居なかったってこと?」

「というより、迷子といった方が正しいのかもしれないな」



うっかりどこからとも無く迷い込んでしまった命。


「それじゃ……ちゃんと居るべき場所に還れたのかな」

「ああ、きっとね」


それなら仕方ない。

間違って俺のところに来たのなら、きっといつか正しいお母さんに生んでもらえるだろう。

そう信じて、俺はそっと、ぺったんこの腹に掌を当てた。



「少しは安心できたかい」

「うん、ありがと」

こつんと頭をロイの裸の肩に摺り寄せ、シーツの波にもぐりこむ。

全ては仮説で戯言でしかないけれど、二人で信じれば少しだけ『本当』に近くなる。



「少し休みなさい。明日、セントラルに戻ろう」

うん、と頷きかけて、俺はもう一つの大きな問題を思い出す。

むしろ、忘れて他方がまずいだろって程の根本的な、問題。

そうだよ、それどころじゃ無いじゃん。


「セントラル……って、アンタ、まじでこの結婚続けるつもりなのか?」

「そうだが、何か問題でもあるかい?」

「ありすぎだろーが」


花嫁が男なんて、聞いたことが無い。それって法律違反だし。


だが、俺のひどく良識的な心配は、一笑にふされてしまう。

「既に結婚できているのだから、どちらかがバラさなければ別に問題は無いと思うが」

「……だましとおすって事?」

「騙すなど人聞きの悪い。契約を結んでから条件が変化してしまうことなど幾らでもあるだろう」

だいたい人体錬成の事実を伏せたままで、どうやってこの状態を説明する気だね、と。

言い切られてしまえば、立場の弱い俺としては唸る事しか出来ず。

「それに、今までどおりの生活を続けるにあたって、なんら支障が無いことは証明したと思ったが?」

追い討ちをかけてくる、にやりと人の悪い笑み。

ううう、コイツ……生活の前に心で『性』って付け加えてるだろ、絶対。



「だ、だけど……百歩譲って、そうだとしても! 俺、アンタの子供なんて産めないんだぜ」


身を切るような思いで、最後まで引っかかってた事実をようやく口に出す。



「そ、……そりゃ、アンタならアメストリス全土に隠し子が居たって不思議じゃないけど……でも」

ぼかっといきなり問答無用で頭を殴られた。結構マジに痛い。なんでだよ。

「なにをさりげなく失礼なこと言ってるかな、君は」

「え? だってハボック少尉が、大佐は絶倫だから気をつけろって。

で、そういう相手が現れた時は余裕を持って受け入れるのが妻の務めだって、ブレダ少尉が……」


「アイツらは一度燃やしておかないといかんようだな」

「………違うの?」

心底不思議そうに見上げれば、思いっきり大きく溜息をつかれた。

「私は浮気などしないよ」


「うん。そのつど本気だから、たちが悪いって。

でも、並行できるのは三人までだからって、ホークアイ中尉が教えてくれたよ」



「……あいつらは私の結婚をぶち壊す気だったのか?」

不穏に呟くロイがなんだか気の毒になって、俺は必死でフォローの言葉を探す。

「大丈夫だって! 俺、ちゃんとグレイシアさんに本妻の心得教えてもらったから」

だが、どうやら逆効果だったらしく、今度こそ深々とロイはベッドに撃沈してしまった。



「ロ……ロイ?」

慌ててよしよしと、小さい頃アルにしてやってたように頭を撫でてやる。

と、しばらくしてクスクスと笑い出す気配。

「まったく、君っていう子は……」

「う、わっ!」

いきなり抱きすくめられて、上下が入れ替わる。ロイの肩越しにホテルの天井。





「子供のことなど気にしなくて良いんだ」

低くなったトーンに、ロイが大切なことを告げようとしているのを知る。

まっすぐ見上げた先に、逆行でただ黒いばかりの瞳。



「私はもともと自分の子供を持つつもりなどない」

「……え?」



「こんなに多くの命を焼いてきた人間の遺伝子など、もう残したくはないんだよ」



苦笑交じりに落とされた、その言葉の重さに目の前が赤くなった。

それって……。



嘘だろ、ロイ。

あんた、自分が嫌いなの? どうしても最後で赦せないの?

誰がなんと讃えようと、その場を生き抜いたのは自分だから。



「本当はこんな風に誰かと生きていけるとも、思ってなかっ……」


バチーン!


最後まで言わせたくなくて、俺はロイの顔をひっぱたいていた。

しかも、両手で。挟み込むように。

俺の上に乗っかって肘をついてるロイにもちろん避け様など無くて、見事に両頬が赤く染まった。




「いきなりなにをするのかね、君は!?」

「うっさい! どっかの馬鹿が、くだんねえ事抜かしやがるからだ」

毒気を抜かれたように怒鳴るロイに対して、俺はもう腹が立って泣きそうな気分で。




「決めた! 俺は軍に戻る」

「ちょっと待ちたまえ、この会話の流れでどこをどうしたらそういう結論に……」

「いいか!? 俺はアンタと結婚して、そんで軍に戻ってアンタを大総統にしてやるからな!」

「………エド?」

不思議そうな声に我に返れば、俺の瞳からは意思に反して涙がぼたぼたと零れてて。



呆然とする男の下から身体を抜くと、向かい合って座る。ベッドの上に。





「アンタは子供なんていらないっていう。もちろん俺にも産めやしない。でもな!」

びしっと、指をロイの前に突きつけて宣言。




「知ってるか、大総統は国のトップなんだから全国民に責任を待たなきゃいけないんだ。

つまり、アンタが大総統になったら、アンタはこの国中の子供の父も同然だろ!」



「だから、俺は……アンタを大総統にして……アメストリス一、子沢山の父親にしてやる!」




「は……」

「どんなにアンタが嫌がっても、アンタの子供だ。覚悟しやがれ!」





それはとんでもない理論だと自分でもわかっていたけど、言いたかった。

アンタの物理的な遺伝子がたとえ残らずとも、

心や魂といった目に見えない遺伝子はこの国の子供達に残り、繋がっていくのだと。



言い切ってふうと息を吐く俺を驚いたように見つめると、ロイは。

「あ、ははははは……」

一気に破顔した。

それはもう、楽しそうに。まいったとばかり天を仰いで。





「君にはいつも驚かされるよ、エド」

「なんだよ! 俺は真面目に……」

「ああ、わかってる。……そうか、国中のね……」

くっくっと肩を震わせる、その姿からはさっきまでの諦念はかき消えていて。



「ああ、そうだな。アメストリス一の大家族というのも、いいかもしれん」

「だろ? 支え甲斐あるぜ、『おとーさん』」

「君となら、それも楽しそうだな。妻、兼、私設秘書というのも、悪くない響きだ」

「おう、まかしとけ。……って、でもなんか、その響きヤらしくねぇ?」

「おや、大人っぽい発言が出来るようになったものだね」

「そーゆー意味じゃねぇ! あっ。こら! ばか!……変なトコ、さわん……っ……」





ともかく。

そんなこんなで俺たちは次の日、セントラルに戻っていった。

去ったあの日とは違う、二人で歩く夢をその手に抱いて。



<エピローグ>


それから?



それから、別になにが変わったわけじゃない。


ロイは相変わらず書類を溜めて中尉に怒られ、時々焔の錬金術師らしく頑張ってる。

ヒューズさんは妻と娘自慢に忙しく、

ハボック少尉たちはちょっとばかり大佐に脅されたらしくおとなしめで。

アルは、どうやらウィンリィを捉まえられそうだと浮かれた手紙を寄越し、

ブラハは飼い主の予想以上に賢く育っている。




え? 俺?

俺は……。





「少佐ーっ! エルリッ……マスタング少佐あぁーっ、どこですかー?」

「こっち、こっち。どうしかした?」

「ああ、よかった。実はですね、書類を残してマスタング大佐が……」

「あんの馬鹿、また逃げたのか!?」

「すみません。自分が少し席を外した時に」

「いいって。じゃ、ちょっと探してくるよ。

まったく、中尉が休みの日くらい迷惑かけず、おとなしく出来ねえかな、あの人は!」



うん、そういうこと。




とりあえず、どうロイが上に話を通したのかは知らないが、

国家錬金術師として再試験を受け、俺は軍に復活することができた。

所属していたとはいえ以前は旅ばかりで遊撃隊みたいなもんだったから、

今はここセントラルで軍人としての研修中だ。


とはいえ、実質ロイのお守りというか見張りというか、そんなポジションで。


「大佐ーっ! どこかくれてやがる、あの無能。こんな時だけ有能になりやがって」

「あ、ははは……」

「笑い事じゃねえよ、フィッツ軍曹」

「そ、そうですね。午後の会議までには戻っていただかないと……」

「げ? あと30分も無いじゃないか。……ようし……」

おそらくこの書庫のどこかとあたりをつけると、俺はフィッツ軍曹に静かにするよう合図して扉を開く。


「あ! あ、やだっ……。や、やめてくださ……」

掠れる様な声で書庫内に叫びを流し込めば、突然がたがたと起きる大きな破壊音。

続いて、上着も着ないで休んでいたらしい気配の黒髪の男が飛び出してきた。


「どうした、鋼の!」

「はい、発見。軍曹、このまま会議室に連行しちゃって」

「あ、ありがとうございます」

「くそっ。寝起きにその攻撃は卑怯だぞ、エド」

「この時間に『寝起き』になってんじゃねえ、このぼけ!」


……とまあ、そんな感じで。




穏やかにだが、それでも俺たちは目標を持って歩き続けている。

時折喧嘩し、仲直りし、互いの言い分をぶつけ合いながら。




振り返り、横を見れば大切な人が居る。

交し合う、ささやかな瞳。



それすらも、幸せな日々の中で。
後天性エド子新婚STORY、完結です。
延々放置されてましたがようやく収納(苦笑
長い間、お付き合いありがとうございました!





 

 

【ハッピーエンドは お約束 編 END】
(2009.6)

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