『人殺し』
投げつけられた言葉が胸に刺さる。
エドとともに運び込まれた街の病院の一室でロイはひとり窓の闇を眺めていた。
あれはイシュバール戦ももう終わりに近い頃。
追い詰めたゲリラの少年。エドとさして年も違わぬ小さな手に、不似合いな大きな銃。
『人殺し』、と。
家族を友人を目の前で殺された少年を、自分はこの手で…。
戦争だった。命令だった、と甘受するのは簡単だ。だが、何百何千と数でしか表されないその人生を
理不尽に奪われた痛みは誰かが背負わねばならない。
「……それでも、…私は…軍人だ」ロイの声は自らに言い聞かせるように、小さく空気を揺らした。
コン…思いを破り、遠慮がちに響くノックの音。
「ロイ…起きてる?」
ゆっくりと開いた隙間からさらりと金髪が零れ、ついで大きな不安げな瞳が覗く。
「ああ、エド。気がついたのか?」
「うん、さっき…」
問いかけを了承とみなしてエドワードがするりと入ってくる。猫のような身のこなし。
右手を覆った包帯が痛々しい。
「……まだ痛むか?」
「少し…。でもさっき痛み止め貰ったから大丈夫」
『まだ小柄なのが幸いだった。関節が育ちきってない分、直りが早いじゃろう。…ただ今夜は、少し熱が出るかもしれんから安静にな』
エドの治療中に軍への報告とリゼンプールへの連絡を済ませ、帰りたいと申し出たロイを年老いた医師はそういって押し留めた。
『移動などもってのほかじゃよ。
だいたいあんただって肋骨を3本も痛めとるだろう、マスタング君』
「動いて平気なのか?医者は安静にといっていたが…」「腕だけだし…。それに一人で居ると…落ち着かなくて眠れないんだ」
だからいいでしょ?と、枕をおもむろにベッドに投げ上げ、座るロイの横に潜り込む。
本来シングルのベッドは二人並ぶとギリギリで。
ことんと頭をロイに寄せ横にぴったりとしがみつくと、エドはほぅ…と小さく息をはいた。
「…あったかい」
熱の出る前触れなのか、少年の手足は却って冷たく頬はうっすら赤く染まっている。
自分の腰辺りで揺れる金髪をそっと撫で、ロイが口を開く。
「すまなかったな、酷い目にあわせて」
「なんでロイが謝るんだよ」
悪いのはあいつらで、ロイじゃないだろ? そう返され言葉に詰まった。
沈黙が室内を満たす。
でも、それはいつものような穏やかなそれでなく。
「……あの、さ。ロイ…」「エド…」
声が重なる。続けたのは、ロイのほうで。
「私が恐くはないのか?」「…言ったじゃん。恐くないって」
なんでそんなと、むきになるエドにロイは静かに笑って。
「そうか…。私は、怖いよ」
顔だけ横にして見上げる子供に告げる真実。
「あいつらの言った事は事実だ」
「子供、…殺したの?」 残酷な素直な、問いかけ。
「子供も大人も、たくさん…たくさん、燃やした」こうやって…この手で。右手を持ち上げ指を鳴らす仕草をしてみせる。
「今でも、忘れられない。炎の中で転がりながら死んでいく人。脂の焼ける匂い」
淡々と語られるその内容をエドは黙って聞き続ける。
「やりきれず人体錬成まで考えた。けれど、最後の一歩が踏み出せなかった…」
(人体…錬、成…?)
それは錬金術最大の禁忌。そんなことを考えていたの?あの陽も射さぬ部屋で。
一瞬身じろいだエドに気づかずロイの言葉は続く。
「それでも私は軍人だ。また命が下ればどこにでも行って…人を殺す。殺さねばならない」
その響きは、まるで懺悔にも似て。
「ロ…イ…」見上げる青年の横顔は絶望と諦念に彩られ、かける言葉すら見つからない。
『むいてないんだよ、軍人なんか』
ふいにピナコばっちゃんの繰言が蘇る。
「やめちゃえばいいのに…」
思わずぼそりと口をつく台詞、エド自身無理なのはわかってるのに。
だって『イシュバールの英雄』なんだから。もう、本人の意思でどうこうできるレベルじゃない、きっと。
「そう、だな。…この両手、切り落とせば諦めてはくれないだろうか。そうも考えたよ…」「え!?」
思いもよらぬ告白にエドの声が高くなる。
「しっ、静かに。見回りが来たら叱られるぞ?」
「そうじゃなくて…」
焦るエドの頭をポンポンと叩くと困ったような視線で。
「『考えた』といったろ。大丈夫、やらないよ」
たとえ手を失っても、その知識が…錬金術がある限り軍が手放すとは思えない。
「こんな、血にまみれた腕でさえ…私は捨てることが出来ない」「…………」
「がっかりしたろ? 私はおまえが思ってるような立派なヒーローじゃない。ただの臆病者なんだ」
にっこりと、与えられたその微笑みは胸が痛くなるほど透きとおって。
「…そんなこと、ない!」エドはばっと身を起こすと、ロイに向かい合った。
「ロイは臆病なんかじゃない。だって、一人で、俺を助けに来てくれたじゃないか!」
「エド…」 困ったような口調。
悔しくて、哀しくて。どうすればこの人に心が届くのか。
「俺は、俺は…」
見開いた瞳が熱く滲んで、ロイの顔がゆがんで見える。
「俺は好きだよ、ロイの手。ロイは嫌いだって言うけど…俺は…っ」
動かない右手をゆっくりと持ち上げて、そっとその手に触れる。両手で包み込む。祈るように。
ぽたぽたと暖かな雫が落ち…重なる手を濡らした。
(エドワード…)
「怖いかって聞いた。恐かったよ、すごい力だもん。でも、平気だった。だって、ロイの、だから。ロイが使うんなら恐くないって思った」
幼いなりに言葉を捜して、たどたどしくぶつけられる、真直ぐな思い。
「その力で、俺、守ってくれた。ロイは…臆病、んか、じゃない…人…殺し、なんかじゃ、ないっ。ロイ、だから。…ロイ、ロイ…生きて。俺の為に生きてて…よぉ…」
感情が一気に昂りエドはロイにしがみつくとしゃくりあげた。「…やだ。ロイが…死んじゃうの、やだ。誰がなに言っても、ロイは…。俺、おれの…っ」
もう、意味を成す言葉など捜せない。
嫌、なのだ。この人が苦しむのが。心を閉ざしていくのが。
(人殺しっていわれても、世界中が敵になっても、おれはロイの味方だから…)
わあわあと、しがみ付いて泣くエドワードを…その小さな身体を…ロイはただ黙って…抱き締めていた。
◆ ◆ ◆
「落ち着いたかな?」
夜半、かすかなノックとともに白髪まじりの医者が顔を覗かせた。「はい、お騒がせしました」
「まぁ、あんな目にあったんだ。ショックも大きいだろうさ」
エドの泣き声に駆けつけ、ドアの向こう、状況を察して他の患者達を静めてくれたその医者にロイは静かに感謝の意を述べた。
「どうやら…離れんようだから今夜はここで寝せるが…狭くないかね?」
やさしい瞳の先では金髪の子供が、泣きつかれてロイの服をつかんだまま眠り込んでいる。
「狭いのは…慣れてますから」
そう、戦場では壁にもたれたまま眠りに落ちることすらあったのだから。
「……いい子だな」 ぽんと眠るエドに軽く触れると、そう微笑む。「はい」
「なぁ、マスタング君。こんな仕事やっとると、いろんな場面に出くわす」
淡々と老医が語る。
「死んだり助かったり、それは抗いがたい流れなのかもしれん。
しかしな、だからこそ生き延びた人間は生きなくてはならないのだよ。
それが生き延びた人間の礼儀であり義務なんだと、わしは思っとる」
そんな事いってたら、ここまできてしまったがの…と笑いながら去るその背中に剛い意志をみる。
だから生きろ、と。
無言の励まし。
閉じられたドアに、ロイはただ頭を下げ続けていた。
(赦されても、いいのだろうか…)傍らで寝息を立てるエドを見つめ、ロイはそっとベッドを抜け出した。
部屋の反対側におかれた椅子に腰を降ろし、ぼんやり浮かぶ窓を見つめる。
生きろ、と言ってくれる人。ほんとうに自分は赦されていいのか?
赦される筈など、ない。救われて良い訳がない。咎人なのだ、自分は。
それでも。
仄かに光る金の髪。その温もりを裏切りたくない。
(力が…欲しい)
自分を兵器で失くすだけの権力[ちから]。愛しいものを守れるだけの、能力[ちから]が。
そうして生きて生きて、生き抜けばいつか…この生にも意味があったと思えるかもしれない。
明けぬ夜明けを見据えて佇むロイの瞳から、初めて…一筋の涙が零れた。
(…ロイ…)離れた気配に反応してエドは眠りから醒めた。ゆっくり視線だけ回せば、一人座るロイが見える。
静かな、表情。
虚空に何かを見据える瞳で、微動だにしない。
(え…?)
見つめるその前でロイの頬に一筋の光が走った。
(ロイ…泣いて、る?)
声も立てず、身動きひとつせず、ただ一粒のしずくが零れ落ちる。それは何かへの決別のようで。
エドは生まれて初めて、大人の男が泣くのを、見た。けれど、それは。
(綺麗…だ)
強い、剛い人だと思う。
それは射し込む暁光のように、エドの心に広がる思い。
大丈夫。大丈夫だ。
そうして、明日。……朝日の中で…きっと。
『朝日の中で微笑んで…』 完
ようやく完結です。思いのほか長かった。
力不足で…書きたいこといっぱいあったのに、うまく書ききれず…
でも今はこれが精一杯。
ともかく、このことをきっかけに互いを特別に思い始めたりしてと
要らない煩悩だけは膨らんでますが(笑
Rもない暗い話にお付き合いくださりありがとうございました。
本人はとても楽しかったです。書いてて。
着声台詞がお題でした。