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(どうしよう…)

夜、宿に戻りベッドに入ってもエドに眠りは訪れなかった。





あのあと、廊下に出てすぐエドはロイを置いて走り去った。

まずは衣服をどうにかしたかったし、今大佐の顔見たらなに口走るかわからなかったから。

手近なトイレに飛び込むと、持っていたハンカチと紙で小さなクッションを作り

ついで汚れた服から血を分離させる。全部、先生が教えてくれた錬金術だ。


エドの事情を知ったイズミ師匠は黙ったままエドを抱き締めると、次の日にこれらの術を教えてくれた。

『あんたが生きてくには…多分、必要だよ』と。

(…ほんと、そうだったな…)



いまだ発展途中のエドの身体は不安定で、月のモノもいつ訪れるかはっきりしない。

旅立つ時に黒の服、赤のコートにしたのも、ひとつには血が目立たないから。

そうして、これまで何とかやってきたのだったけれど…。


(…どうしよう…)

エドの思考はまた同じところに戻っていく。



目を閉じれば、今日の出来事がまた思い出されてくる。









「鋼の、いったいどうしたんだ?」

ガチャリとトイレの扉を開ければ、少し離れた廊下に立ってたロイの不審げな声が投げかけられた。

「…っ、あ、いや…。どうしたって……。わかるだろ?トイレだよトイレ」

咄嗟に思いつく言い訳。隠し事が多いと、こんな嘘ばかり上手くなる。

「しかし、顔色も…」

「だいじょうぶだって!」

言いながら伸ばされる手。

落ちる前髪で隠れる表情を読むように、さら…とかき上げられ咄嗟に叩く。

いま、そんなことされたら、泣き出してしまいそうだったから。

だけどそんな思い、大佐には当然伝わらなくて。

「……そう警戒せずとも、嫌がる子供に手を出したりはしないよ」

苦笑しながら告げられ大佐が昼の話を気にしてたのかと思い至った。

「違…そんなんじゃねぇよ」 

そっぽを向くと、ことさら乱暴な口調で強引に話を変える。

「お茶出してくれんの飲みすぎてさ、でもやっぱ、大総統の前でトイレ、とか言えねぇじゃん」

あ〜、やばかった、と笑って見せればすっきりしない顔で、それでも一応納得してくれて。

「きみが、そんな殊勝なタマとは思わなかったな」

「失礼だな。俺だって礼儀を払うべき相手には払うんだよ」

「それは、どういう意味かな?」

いつものように軽口叩きながら、並んで執務室へと向かう。



(…良かった。ばれて、ないよな?)

こっそりと視線だけで隣に並ぶ男を盗み見る。大好きな横顔。

しっかりと遠くを…前を見てる瞳に惹かれた。そこに自分を映したいと思い始めたのはいつ頃だったろう。

だけど、そんな夢はあっという間に打ち砕かれて。それならせめて有能な部下でありたいのに。

(なのに…俺、足引っ張る事しか出来ないのか?)

「……どうした?」

意識せず漏らす吐息をロイが聞きつける。ほんと、こんな時ばかり耳聡い。

かわそうとしたが、そのまま腕を掴まれ…真正面から見つめられる。


「エド?」

いつもと違い名前で呼ばれて心が揺れた。掴まれた腕が、熱い。

真剣な黒い瞳。どうしてそんな目で見るの?精一杯張ってる虚勢が辛くなる。

…いっそ…いっそここで全て告げてしまおうか。泣き出してしまいそう。

いろんな事がいっぺんに起こって、もう、エドの精神はぐちゃぐちゃに乱れてて。

「…大、佐…」

ぜんぶぜんぶ、この人に預けてしまいたい。全部話して…思いも心も身体も…。



罪も……?





(何、考えてんだ、俺!)

一気に頭が冷えた。



なに勘違いしてるんだ?

ロイは…大佐は、おれの後見人で、上司で…親でもましてや恋人でもない。

話せばこの男の事だ、必死でどうにかしようとしてくれるだろう。それはわかる。

(どんな部下だって…見捨てない、見捨てれないバカだから)

だけど、今度の相手は大総統だ。それが、どんなに危険な事か…

以前、少尉に聞いた。大佐は何かを変えようと上を目指してる、と。



『彼は、どうにも野心が過ぎるね。敵を作り易いタイプだな』



あの酷薄な目を思い出してぞっとする。

(巻き込んだら…大佐は…)

そんな事、できるわけが…無かった。



こくりと小さく唾を飲み込む。

「なんでもない…早くいこうぜ」

皆待たせてるんだろ?と、そう笑って見せる以外、エドに何ができただろう…。





 



「…兄さん、どうしたの?」

薄い毛布とシーツにくるまり小さく溜息をつく兄を心配して、隣から弟のアルフォンスが声を掛ける。

逞しい鎧の姿に似合わぬ、優しい声。

眠らないアルにはこんな時いつだってばれてしまう。けれど、今回ばかりは言えない。

『それなら、軍やめればいいじゃない。

 ちょっと遠回りになるかもしれないけど、僕らが戻る道は探せるよ』

多分…いや、絶対、この優しい弟はそういって笑うから。



でも、とエドは思う。軍に居て優先的に赤い石の情報を回してもらってすら、遠いのだ。

軍を離れれば、おそらく余程の幸運でもなければ不可能だろう。

(アルをずっとこのままになんて…出来るわけない)

自分と違って、きちんと望まれて認められて生まれた弟。その姿を異形のモノにしてしまったのは自分の過ちだ。

(……いっそ…俺が消えたんなら…良かったのに)

言っても詮無い繰言。胸で飲み込んでエドはアルに笑いかけた。



「ん?…ああ、なんでもない。ちょっと強行軍だったから疲れすぎて寝付き悪くて、さ」

「ふうん。でも寝といたほうがいいよ。僕は平気だけど、兄さん明日も司令部いくんでしょ?」

「え?!」

どきりと心臓が強く打つ。

「兄さんと大佐が部屋に帰ってくる前に、大総統の秘書の人が来て言ってたよ。明日も来るようにって」

聞いてないの? 問いかけるアルの声が遠い。

「あ、ああ、いや…聞いてる。ちょっとうっかりしてた」

「もう、しっかりしてよね。大総統の命令無視したりしたら、マスタング大佐だって庇いきれないよ」

半分呆れながらのいつものお説教が、今夜はずきりと胸に刺さる。

「……そうだよな」

いくら大佐だって、大総統を相手に無傷で済むとは思えない。




『身体の情報の対価は身体で…』

『私が呼べば戻り、言えば足を開く……狗になれといっているのだ』


意味することは明らかだ。玩具になれ、と。

「……そう…だよ、な……」



(仕方ない…弱みを見せた俺の所為なんだから)

油断した。

だけど今回は自分の咎を他人に負わせてはならない。…アルの時みたいに。







そうして…

エドが瞳を閉じた時に一粒零れたのは、決別の涙。

 

     

 

 

エド、悩みモード。次回はR、多分。












鳥籠レベルの悲惨さかも(笑

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