□ □ □



「…ぅ…」


どさり、と自分の体が床に落ちる音を他人事のように聞いた。

打ち付けた痛みで僅かに戻る意識。



「私はこれから軍議だ。戻ってくるまでには自分の汚した部屋を綺麗にして、消えていたまえ」

朧な視界を黒い軍靴が遠ざかっていく。






ついで届く扉の閉まる音にエドは重い体をようやく起こした。

おそらくは行為の途中気を失ったその身体を使うだけ使い、そのまま放り投げて身支度を整えたのだろう。

とりあえず契約は敢行されたのだ。道具の後始末は契約にはない。

支配者に相応しい、悠然たる傲慢。

施錠をしたかどうかもわからない。この状態を見られて困るのはエドワードだけなのだから。

そこまで考えて眠りに落ちたい心を叱咤する。

大総統の部屋に無断で立ち入る輩がいるとも思えないが、誰何されるのも厄介だ。


泣き声はとうに枯れ果て、乾いた涙と精液で顔がこわばっている。

それすら気にならぬほどエドの心は疲弊し摩滅していた。



「くっ…ぅ…」


なんとか仮眠室に向かおうと這いつくばる、が

引き裂かれたまま何度も揺らされた下半身に上手く力が入らない。

早く、早くこの穢れた時間を流し去ってしまいたいのに。


痛みを通り過ぎ、麻痺したような…他人のもののような感覚の足腰から

動かした途端に生温いぬめりが滴り落ち、エドは総毛だった。

どろりと絨毯に赤黒い染みが広がる。

かき回され、剥がされ、堰き止められていた、血、血…血。

「ぐ…っ」

こみ上げる嘔吐感を必死で押さえつける。

此処で崩れたらもう動けない。頭のどこかでそう冷静な声がした。




「立て!…立てよっ!」 きつく、小さく呟く。自分に。

見たくなくて。

「こんなトコで…止まっってらんねえだろ?!」

コートで我が身を包むようにして無理に立ち上がる。ぎしり、機械鎧が嫌な音を立てたがそれを支えに。

(こんな事…なんでもない…)

俯き唇を噛みながら、引き摺るように一歩また一歩と足を進める。



痛みなら手足を持っていかれたあの時のほうが辛かった。

絶望ならアルを失ったあの時、嫌というほど思い知った。

だから。



「…んなの…。大した事じゃ、ねぇ…だろっ!」

しっかりしろ、動け!

自分にはやらなきゃいけない事がある。そのために。



目を背ける『弱さ』を振り返らない『強さ』だと…自分を欺き、エドは歩き続けた。








シャワーブースにようやく辿り着き全てを脱ぎ去り、熱い湯を浴びる。

冷え切っていた下肢を赤いものの混ざったお湯が流れ落ち、感覚が戻って来るにつれ

ひりひりとむき出しの痛みと異物感が裂かれた箇所から伝わり、犯された事実を突きつける。



洗う手がむき出しの胸をそっと触る。壊れ物のように。

行為の間、一顧だにされなかったかすかな膨らみ。

それは愛撫さえない、ただの排泄に使われた自分の象徴のようで。

(…バカらしい…何、考えて…)

もとよりわかってた事。この肉体がどう扱われようが誰が気に留めるというのか。

男ではなく、…女であってはいけない、自分。



ごしごしと殊更に強く荒い流しタオルで拭く頃には足にも血の気が戻り、

まともに動けるようになった頭と体に、エドは一つ大きく息を吐いた。

 

□ □ □

 

シャワーブースを洗い流した後、汚れを落とした衣服を身に纏いゆっくりと執務室に戻った。

そこかしこに残る情交の跡。

なかでも一番厄介な血の染みを、まず錬成で分解する。

「…血液の成分は、たんぱく質と脂肪、尿素、鉄分…」

淡々と頭に構築式を思い浮かべ手を鳴らせば

絨毯の上についた両手の間で光が生じ、ぱきぱきと沁み込んだ血が浄化されていく。

消えていく染みの動きを追っていたエドの目の端に、一点だけ…鮮やかな赤が飛び込んできた。

「…っ!」



経血とは異なる…破瓜、の、証。


凝視するエドの目の前でその赤は、かつて家を燃やした焔と重なり、舞い上がるように消えていく。

ずきん、胸の奥が疼くように痛い。

あの時と同じ様に、もう引き返せない道を歩き始めてしまった…そう、自分で選んだのだと。

あの時と同じ様に、零す涙も持ち合わせていなかったけれど。

 




「まだ終わっていなかったの?」

ふいに届いた背後からの声に、エドワードは弾かれたようにふり返った。

「あ、んた…」

そこには目の前の惨状などないかのように、普段と何一つ変わりなく立つ大総統の秘書官。

(気配…も、音も、しなかった…)

「あと20分もすれば閣下がお戻りになります。早く始末なさい」

全てを知った上での見下した口調にエドは唇をかんだ。しかし、今ここで言い争ってる暇は無い。

戻ってきた時に自分がまだここにいたら、今度は何を命じられるのか考えたくもなかった。

「…ああ」

そのままくるりと背を向けると、最後に残った机の周囲の汚れを備え付けのタオルで拭い取る。

何度かすすいでは磨けば、マホガニーは元の光を取り戻した。

「……っと、これもか」

最後の確認をと見回した視界に引きちぎられた電話のコードが止まる。自らを絡めとった、戒めの綱。

ふ、と小さく息を吐くと元の状態に錬成しようとし…

(…これを、引きちぎる…?)

いかに男性とはいえ、恐るべき膂力である。底知れぬ何かを感じ知らずエドは小さく身震いした。




「…終わったぜ、これでいいだろ?」

パンパンと手を叩くと、殊更に元気にエドはふり返ってみせる。精一杯の虚勢。

見下されるのも同情されるのも我慢がならなかったから。

(こんなことで、俺は変わらない。負けない)

が。



『そう。上手にできたわね、エドワード』

(え!?)

聞きなれた母の口調を耳にして、瞬間、仮面が外れた。体中から一気に血の気が引く。

「か、ぁ…さ…?」

見開いた瞳、そこに映るのは髪の色こそ違えど良く似た面差しの女性で。

がくがくと膝が震える。気のせいだと思いながらも、穢れた自分を母に見透かされたようで。

「あ、…ぁ、おれ…」

「どうかしましたか?」

近づいてくる白い手に肩を掴まれ、その温もりに身動きとれず必死で呼吸を整える。

(どうかしてる…母さんは、死んだんだ。ここにいるはず、無い)

「あ、…いや。なんでも、ない」

グッと一回瞳を閉じて深呼吸一回、目を開ければ辛うじてだが自分を取り戻すことに成功する。

「そう?なら、結構です」

「…じゃ、俺はこれで」

ふり返りもせずに足早に部屋を横切る。




一刻も早く宿に戻って一人になりたかった。

いろんな事が起きすぎて、体も心も悲鳴を上げている。だが、現実はそんな優しく無くて。

「まちなさい、大総統から伝言ごあります。

 『マスタング大佐のところに寄り昨日の報告書の再提出を』とのことです」

「…大、佐…のところに?」

「ええ。報告書にいくつか確認点があったそうです。連絡はしてありますので」



手帳を見ながら告げられる命令にエドは顔をゆがめた。


他の男に犯されたその身で、恋しい男の前に立て、という。



(ほんと…趣味わりぃ…)

おそらく気づいているのだ、あの男は。自分の思いがどこにあるのかを。

知りきった上で、それすら弄ぼうというのか…。


ふざけるな、と、叫んで逃げ出したかった。


だが、今の自分に出来るのは全てを受け入れて真直ぐ顔を上げていることだけだ。

そんな事に傷ついてはいない、と。何も無かった素振りで。

だから…。

「わかった。…どこを直すかは大佐のトコ行けばわかるんだな?」

そう確認するように呟くと、痛む体を気取られえないようゆっくりとドアへと向かう。

そのままふり返りもせずに扉を閉め……。




エドワードは、束の間、重い息を吐き廊下の壁に寄りかかった。

これから始まるであろう、責め苦の時間を乗り越える為に。




だから…知らなかった。

彼が去った執務室の中で、母に似た女性が呟いた一言を。

そうして。

「かわいそうに…」 と言いながら…

その女性がどんな風に、哂っていたのかをも。

     

 

 

大総統とのRシーンは今回は割愛。
いや…あるんですが生々しい(?)かと(汗
エド子は基本心理戦でいきたかったりもするので。







鳥籠レベルの悲惨さかも(笑

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