夢を、見ていた。

あたたかな夢。



大好きな人の中で笑ってる自分。

母さんが居て、アルが居て…大佐が居て。

そんなこと、ありえないのに。



ダッテ タイサト デアッタ ノハ カアサンヲ モイチド コロシタ ヒ。


皆の中で、ぬくもりに包まれてる、自分。


ウマレルコトヲ ノゾマレモシナカッタ ジブンニハ ユルサレナイ ユメ。



だけど夢だとわかってるから。

だから夢から覚めたくなかったのに……。













コト…ン…

戻りかけた意識の片隅に小さな靴音が響く。ついでふんわりと身を包むぬくもり。

(あ…この匂い…?)

うっすらと瞳を開けば見える、静かに執務机へと向かう白いシャツの背中に、

軍服をかけてくれたのだと思い至る。

転寝の子供への、慈しみ。

どくん…心臓が跳ねる。


(だから、困る…んだ)


慣れてない。

そんな風に見せられる思いやりに。気づかなくていいとばかりに与えられる優しさに。


自分が何をしてきたか、しなきゃいけないか、されてきたか…

そんなもの全部投げ捨てて手を伸ばしてねだりたくなってしまう自分を知っているから。

ぎゅっと目を閉じ、無理矢理にその姿を脳裏から消し去る。

(早く、出て行って。……帰って…くれよ)

そうでなきゃ、今顔をあわせたら何を口走るか。普通の顔保てる自信がない。

包み込む微かな匂いは、心乱すばかりで。

泣きたくなる暖かさを、握り締めた掌に閉じ込め、…エドはもう一度眠りの渦に逃げ込んだ。






そうして、時計の長針が二回りもした頃。



今度は自然に迎えた目覚めの中、エドの耳は微かな物音を聞き取る。

それは穏やかに、一定のリズムで走るペンの音。

まるで眠りを守るかのように。

「……ん? ア、ル?」

いつものクセで、どこか確かめることもせずに発した言葉。

その声にぴたりと音が止み、ついで幾分の疲れを含んだ声がエドを完全に覚醒させる。

「いや、彼は宿に戻っているようだよ、鋼の」

「た、たたたた、たいさっ!?」

なんでアンタがここに、と口走れば、さも心外といった風情で口を尖らせて見せる男。

「『なんで』だと? わたしが自分の執務室に居るのが不思議かい?」

「いや…いや、いやだって。とっくに帰ってると…」

「寝汚く寝こけてる子供を放って帰るほど無責任にはなれなくてね」

一気に畳み掛けられてエドはむぐぐ…と黙り込む。

確かに、重要書類もある部屋に、たとえ部下とはいえ子供一人残して帰るなど責任ある立場としては出来まい。

ふと時計を見れば既にかなりの時間で、廊下に人の気配もない。

(つまり…俺が寝てたから残業させたって、ことだよな)

仕事嫌いのこの男に。

「ごめん」

「どうした、妙にしおらしいじゃないか」

「だって…」 と視線を机に投げかければ、意味を察し苦笑いする口元。

「まぁ、中尉などは君に感謝すると思うがね。おかげでずいぶん進んだ」

それに、と。

立ちあがり、横のテーブル備え付けの…おそらくは深夜残業用の…ポットからコーヒーを注ぐと

カップふたつ持って、ロイはエドの座るソファに向かった。

「小さい生き物が寝てる呼吸は、確かに癒されるね。ブラハを飼う中尉の気持が少しわかったよ」

「……だぁれが、ハムスターと間違うほどの『小さい生き物』だぁああっ!」

コンプレックス刺激されて、ついいつもの調子で怒鳴り返すと……

そこにあったのは嬉しそうな笑顔で。

「やっといつもの調子が出てきたな」

「なんだよ、それ」

「そういうことだ」

「わっかんねぇ」

ほんと、イヤになるほどそんなトコだけ鋭い上司にそらっとぼけてみせながら、

エドはコーヒーをこくりと飲み込んだ。



こんな時間は嫌いじゃない。他愛無い会話、ゲームのようなやり取り。



大好きな人が横に居る、笑ってる、幸せ。

それはたぶんエドが一番欲しかった時間。



(だいじょうぶ、俺は間違ってない。頑張れる)


この時間を守るためなら。

アルを戻すという、果てない旅の途中。神様がくれたこの束の間の安らぎを守るためなら。

たとえ悪魔にこの身を渡そうと、きっと後悔はしない。

そう…信じたかった。





□ □ □





「で、今日…何があった?」

空気が途切れた一瞬に、投げかけられた爆弾。

ロイの、その言葉にエドの表情が凍った。




「……な、に…って」

「答えにくければ言い方を変えようか?…『どこ』へ行っていた?」

どこ…?なんでそんな事聞いてくるんだ?

「どこ…って」

寝起きの頭で必死に考える。何を怪しんでるのか、何を知ってるのか。

(昨日…大総統の秘書が明日も来るように、って言って来た、ってアルが…)

つまり、それは告げても大丈夫な筈だと判断し、エドは口を開く。

そこで何が起こったかは誰も知らない事だから。そう、わざわざ大佐に『誰か』が報告してなければ。

「大総統のとこだよ…呼ばれて」

「嘘はやめたまえ」

瞬時にロイの口調が変わる。詰問する事になれた、軍人の声。

「どういう…」

「君がそこに行ったのなら…何故わざわざ私に『報告書の訂正』の指示が回ってきたのかな」

その場で直させれば済む程度の内容だろう? 




その問いかけに返せる言葉が、みつからない。

部屋にいる間中…好きにされたのだ。まともな会話なんて成立する余地も無く。



(そんなこと…答えれる訳、ねぇじゃん)



しん、と部屋が次の言葉を待つように静まりかえる。

 

黙ったまま俯いて唇を噛みしめるエドに、ロイの長い指が音も無く伸ばされ…

その頬にそっと触れた。

「っ!?」

「……微かだが、痣が残ってる。誰に殴られた?」

言われ思い出す、あの時間。



血の気が引くのが、わかった。




『口の利き方がなっていないようだな。マスタングはきちんと躾も出来ていないのか』


冷たい、黒い片瞳。

持ち上げられ浮いた体と、侮蔑の笑み。




がくがくと膝が震える。


今まで抑えていた記憶のスイッチを押されてしまった。その問いかけに。

(や、やだ。思い出したくない!)

思うほどに、凌辱者の影はエドの心に広がり、

しとどに貫かれ流れ落ちる血も無くなった『女の場所』がずぐりと痛んだ。

机で背後から突き刺され、床に投げ出され、大きく…足首を…

(いや…っ。いや、いやだ…。やめてっ!!)

吐きそう。

嫌な汗がじっとりと肌を湿らせる。




「鋼の?!」

 

肩に腕を回され、その身を抱きかかえられた事にもエドは気づけない。

叫びださないように両手で覆った唇から、意識せずに言葉がこぼれた。

「あ…。おれ。…俺の、口の利き方…躾が、なってない…って」

「そう言って殴られたのか?」

こくこくと頷く。もうこれ以上は泣き出しそうで声も出せない。

「誰にだ?」

ロイの怒りを含んだ静かな声が更にエドを追い詰める。

「………っ」

「鋼の?!」

「いえ、ない。…言えない。知らない…知らない、んだ。ごめん」





ごめん、と。

それきり口を閉ざした少年を、ロイは思わず抱き締めていた。

僅かに告げられた言葉は予想以上の事実を物語っていて。




大総統命令で国家錬金術師がセントラルに召還されている今、軍部は酷く不安定だ。

特に…国家錬金術師でありながら軍属でないエドワードは注目を集め易い。

それには少なからず、自分の子飼いという噂も寄与していることも事実。


(だからこそ、気をつけてやらねばならなかったのに…)


迂闊さが悔やまれる。

エドワードの話から、殴った相手は自分よりも階級が上の人間だろうとあたりをつける。

抵抗した痕の無い様子からもそれはうかがい知れる。

(だからこの子は…相手を『知らない』というしかなかった)

自分が迷惑をかけるのを恐れて。

 

(……この礼は、させてもらう)

震える小さな体を守るように抱いたまま、ぎり…と唇を噛みロイは閉まった扉を睨みつけた。




誰とも知れぬ相手に戦いを挑むかのように…。

     

 

 

久々更新です。
やっぱりロイエドは書いてて幸せだわVv





鳥籠レベルの悲

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