<第2章 〜あなたに秘密な夜>
「……、と、本当にこれだけでいいのか?」
「しつけぇなぁ、いいんだよ!旅は身軽が一番なんだから」
「まぁ、君なら服も小さくて……」
「だぁれが、服までミジンコサイズのどちびだっ!」
悪態を吐く子供をくすくす笑って振り返りながら、青い軍服の腕がドアの鍵を開ける。
足元には、中ぶりの旅行鞄がひとつ。
翌日、エドは身の回りのものをまとめホテルを後にした。
アルフォンスは民間人なので、そのままヒューズ中尉の家に世話になることになっているらしく、
それは昨夜のうちに大佐が手配したことのひとつだった。
エドとしてはあの家の暖かな雰囲気に惹かれはしたが、厄介はかけれないから仕方ないと諦める。
むしろこっちの都合で振り回してしまうアルが、少しでも安らいでくれれば良いと祈りながら。
「なに……いくら大総統発案の作戦とはいえ、そう長くこれだけの術師を留めておく事はできない」
せいぜい2週間が限度だ。それまでの辛抱だよと。
エドの表情に何を見て取ったのか、ロイは淡々とそう喋りながらゆっくりと日の落ちた道を歩いていった。
少し遅れて隣を赤いコートがついて行く。
どくどくと勝手に走る鼓動は、不安からか喜びからか、当のエドにもわからなくて。
ただ、どちらにせよこの思いを前を歩く男に気取られてはならないのは、わかっていた。
そして今。
大佐がエドを連れて行ったのは軍に程近いブロックの二階建ての家。
軍の所有施設だというそれは、中心部だからさほど大きくはないが一人暮らしには広すぎるくらいで、
実際使っているのは一階部分だけだと男は笑った。
「……なんか、無駄…」
「仕方ない。本来家族持ち向きの物件だ」
(家族…か……)
なんて自分に縁のない言葉だろう。エドワードはぼんやりと考える。
(いや……ありすぎるというべきなのかな)だって、全ての咎はそこから生まれてしまったのだから。
父は居なかったが、優しい母はいた。そして弟も。……それを全て……。
(おれが、自分の我侭で……壊した…)
そう思えば、自分が女性として存在できないのも…
そうでありながら『女』としてあの男に玩具にされるのも
許されない自分への罰なのかもしれない。
「鋼の?」
立ち尽くしていたら、どうしたと声をかけられる。暗い表情にでもなっていたのか、珍しく幾分心配そうな声音で。
いけない、と気分を切り替え顔を真直ぐに上げてみせる。気を回されないように、にっと笑って。
大佐の手で開かれた扉の向こうに広がるのは、どんな生活なんだろう。
ばれないように過ごすのは思いのほか大変かもしれない。それでも。
(大佐と一緒に居れる時間、なんだ)
アルを取り戻したくてせき立てられるように急ぐ旅の日々に、
いけないと思いつつどこかで夢見ていた時間。
いやおうなしに訪れたそれは、罰かもしれない、罠かもしれない。
でも、そうとわかっても、鼓動は勝手に踊ってしまう。
幼く張り詰めた心に、喜びと不安とが交錯する。
「ようこそ、我が家へ。エドワード」
「な、に…いってんだか」
ご大層な声音でそう告げられ、エドは玄関先で笑っていた。どこかで泣き出してしまいそうだと感じながら。
□ □ □
「へぇ…結構綺麗にしてるじゃん」
一階のリビング横の客室に通されたエドは、掃除の行き届いた室内に思わず感嘆の声を上げた。
何せ、男の一人暮らしだ。どんな惨状でもおかしくはない。
だいたい、あの執務机の上を見る限りでは几帳面とか整理整頓とかはこの男から一番遠い言葉だと思えたし。
「ああ、通いのポープ夫人が有能でね」
「そっか」
この手際なら多分料理も上手そうだ。そう問いかけてみると。
「ああ、そうだな。彼女の煮込み料理はどのレストランにも引けをとらないね」
エドは、心ひそかに心配していた食事のレベルに安堵のため息を漏らす。
が、その喜びが打ち砕かれるのはすぐだった。
「まったく、あの赤ワイン煮がしばらく食べれんのは残念なことだ」
「な、なんで?」
「馬鹿か、君は。この家が狙われたときに彼女が一人だったらどうする」
この騒ぎが片付くまでは一般の人間との関わりはなるべく少なくしなくてはいけないと、
そう言われエドはがっくりと肩を落とした。
「な、あ…。じゃ、明日からのこの家の……」
聞きたくもないが一応確認はしておかねばなるまい。
「掃除とか、食事とか…洗濯とか……」
「ああ、大丈夫だ。鋼の」
「え?」
「私は、多少の不出来には寛容だからな」
「…………やっぱ、俺かよ」
「私には軍議があるが、君は自由だろう?」
にっこりと笑う大佐の宣言が、二人の奇妙な生活の始まりだった。
短いですが、まずはそんなほのぼのな感じで。
鳥籠レベルの悲