翌朝、エドはカーテンを通してさえ明るい陽射しに目を覚ました。

(……ん、まぶし……眩しい?)

「うそ!」



辺りを満たす光に思わず跳ね起きて、見慣れぬ壁紙に目をしばたかせること数回。

やっと頭が動き始め、いつもの宿でないことに気がついた。


そして、何も慌てなくてもいいことにも。





旅の間は当然宿を出る時間が決まってて。

それでなくてもあせる気持ちは、一歩でも先に旅を進めなきゃといつもエドを追い立てていた。


鎧の体に繋ぎとめた魂は外見ほどには頑丈ではなくて、血印ひとつで壊れる脆さを隠している。

失っていく『少年』としての時間は少しでも少ないほうがいい。

その思いがいつもエドの胸から離れていかない。


(俺、が…ほんとに男だったんなら…)

我が身に移してこの肉体を譲り渡してもいいと、そう考えたことすらあった。

(そんなことしても…アルのやつは喜ばないだろうけど、な)

焦りと失望にまみれた日々を、それでも希望はあるはずだと走り続けてきた。

だけど、今は……。





足止めを喰らい、出来ることといえば手がかりはないかと書物を探すことだけ。



(ま……助かったけどな)




ふぅとベッドの上、体を起こしてエドは大きく息を吐く。


初めて教えられた無体な行為、あの日からまだ二日しかたっていないのだ。

体にも心にもダメージは大きく残ってる。




うとうととすれば蘇りそうな悪夢に、アルに悟られてはいけないと深く眠ることもかなわなかった。

(それで、か……)



疲れきった肉体と精神に与えられた孤独という安堵。

それが、自分を夢も見ない真っ白な闇に連れて行ったんだろう。


与えられた、皮肉な休息。いつもならそこにあって当たり前の存在が…アルが、居ない寂しさ。


しかし今は……それより独りで居られることに安心する自分を自覚し、エドは小さく口元をゆがめた。








「よ…っと、あれ? そういえば…大佐、は?」

ごそごそと着替えを終えて、エドはようやく家の主の気配がないことに気がついた。

自分の立てる音以外、物音しない静まり返った家。



「お、はよー…」

言いかけてそんな時間でもないかと口をつぐみ、そろそろと部屋の扉から顔を出した。

「大佐?」

がらんとした廊下に、自分の囁いた声がやけに大きく響く。

「や、さすがに……居ないよな」

窓から射し込む光はすでに日は中空を過ぎたことを知らせ、それを自覚すると同時にエドのお腹が小さく空腹を訴えた。

「……やっぱ、ここは腹ごしらえかな」


昨夜の食事は、ポープ夫人の作り置きのミートローフだった。

確かに味は素晴らしかった…と思うのだが、正直なところ緊張と疲れでどうやって食べ終えたのかも朧である。



「……あれが今あればいいのに」

キッチンに足を運び冷蔵庫をのぞいてエドはしみじみとため息をついた。

どうやら昨日は買出しの直前だったらしく、冷蔵庫に残っているのはベーコンの切れ端と少しばかりの野菜、それから…。

「なんでこんなもんだけ豊富かなぁ…」

エドにはどんな味だか予想もつかないお酒の瓶ばかりが棚を占め、大佐の日常を垣間見せる。



しかたないとばかり、エドは全部の野菜とベーコンを乱切りにして水を張った鍋に叩き込む。

とりあえず切って煮る……以前ウィンリィに習った非常手段である。


「あと……、あ、あった。ラッキー」

ごそごそと保存棚をさぐってエドはパスタの袋を発見し、これでよしと台所に向かった。

ぐつぐつと煮えたスープにそのままパキパキとパスタを折って放り込む。

しばらくして全てが軟らかく煮えたあたりで塩胡椒で味をつけて出来上がりである。




「ふふん、俺ってば天才かも」

母が亡くなってピナコに世話になったとはいえ甘えて居られないときもある。

『だいたい錬金術は台所から生まれたとも言うんだし』と、弟と挑戦すること数度。

その甲斐あってかアルとエドは簡単な料理なら作れるようになっていた。

ただ、エドのやり方は錬金術への緻密さとは裏腹に大雑把で感覚に頼ったものであり、

実際このスープもひとりで食べきるには多すぎる量が出来上がっていたのだが……。






「うん、旨い」

口に含むと一瞬切れた唇にしみたが、それでも目覚めの体に野菜やベーコンの旨味が広がっていく。

「ふむ、確かにいい匂いではあるな」

「た、たいさっ!?」


いきなり背後から声をかけられ、エドは半分むせながら振り返った。

と、そこに立つのは見覚えのあり過ぎる青い軍服姿の男。


「な、なんで…?」

「いやなに、目覚めて空腹のあまり下手なモノを練成されても困ると…これを買ってきたのだがね」

て、持ち上げて見せるのは大振りなサンドイッチの入った袋で。


「シュリンプサンドにBLT…ポテトフライと…」

言いながらテーブルの上に並べられるそれらはどれをとっても美味しそうの一言に尽きる。

「あ……ありが」

エドが手を伸ばそうとするとロイはそれをさえぎり、にやりと笑って。

「だが、必要なかったかな?」

君には美味しそうなスープもあるし、と。

「……意地悪くねぇ?」

「それでは等価交換といこうか、鋼の」

すとんとエドのはす向かいに腰掛けるとロイはゆったりと足を組んでみせる。

「そのスープと飲み物を持ってきてくれないか?」


私も昼食がまだでね…と付け加えられ目の前でサンドを揺らされて、

ため息半分エドは席を立ち上がったのだった。






「意外だな、旨いじゃないか」

「なんだよそれ!」

スープを一口飲んでのロイの感想にエドは思わず悪態をつく。が、その声は思うほどにはきつくならなくて。

まさか予想もしていなかった二人だけの昼食に、

この男が自分を気にしていてくれた事実に、抑えたいのに浮き立つ心があった。


「味は悪くない、が……この、野菜の大きさが違いすぎるのは何とかならないのかね」

スプーンでにんじんを転がしながら黒髪の男が指摘すれば

「いんだよ、口に入ればおんなじなんだから」

視線も上げずにもぐもぐと頬ばったまま金の子供が反論する。

「いや、それは違うぞ鋼の。大きさをそろえることで仕上がりの硬さがそろうというか…」

「なに、アンタ。もう歯が弱ってんの?」

このくらい噛めよ、とばかりわざと大きめのジャガイモを口に運べば、

がりっと言う音とともに微かな苦味が口に広がりエドは顔をしかめる羽目となった。




「……っ、そ、そいえば、アンタこんなとこでサボってていいの?」

目の前でさもありなんと含み笑いする表情が悔しくて、エドは会話の矛先をかえる。

「ああ、所詮仮の配置だ。あまりこちらの仕事には手を出さないほうが今のところ平穏だろう」

(へ…? 仮、って?)

セントラルに戻ったと電話で中尉に聞いて、すっかり栄転かと思い込んでいたがどうやら違うらしい。

(ってことは、例の事件がらみだったのか?)


「とは言うものの、そうだな、そろそろ帰らねば東方司令部から連絡が入りそうだ」


離れても仕事のチェックが厳しくてね、と腰を上げながらやれやれとぼやいてみせる。

「しかたねぇよ、日ごろの人徳ってもんだろ」

「言ってくれるね」





玄関の錠を閉めるためと理由をつけ、エドは大佐の背中を見つめながら後をついていく。



気に留めてくれたのが嬉しくて離れがたいのだとわかってるけど、言い訳して。

そして、この心配りが大佐にとっては自然なことなのだということも。

ここに居るのが部下の誰でもそうしただろうことも。

全部。全部わかってて、それでも。




だが、そんなエドの気持ちを知りもしない男は、淡々とした口調で更にエドを揺らす。

「ああ、そうだ、鋼の。これを…」

「へ?」

玄関を出るところでいきなり振り返ると、エドの手に小さな金属を落としてきた。



かしゃん、と澄んだ音を立て鋼の掌で光るのは、金色の鍵。



「出かけたい時はこれを使いなさい」

多分、作られたばかりのそれは昼下がりの光を受け、目の前できらきらと煌く。

(おれ、の…ために?)

「あ、……うん。ありがと」

「なに、いちいちドアを錬成されてはたまらないのでね」

「………っ! しねーよ、んなこと」

最後までからかい気味の台詞に唇を尖らせながら、それでもエドの心はやわらかく弾んでいた。

□ □ □



次の日。

手持ち無沙汰で朝から図書館に足を運んだエドだったが昼近くになるとどうにも落ち着かず、

期待する自分に呆れつつ、昼過ぎには読みたい本を借り図書館を出てしまった。


(待つだけ馬鹿らしいってのに……)

だが、そんな気分で辿り着いた家には、何故かまた大佐の姿があって。

(う、そ…)

「ちょうど良かった、今、食事をしようと思っていたんだ」

そうにっこりと告げられ、エドは知らず微笑んでいた。






それは次の日も次の日も続き、夢を見まいとするエドの心に甘い傷を降り積もらせていく。



(どうして、んなに……アンタ、やさしいんだよ)


期待なんてしたくない。

なのに、育てたくもない恋心に注がれる柔らかな慈しみは、どんどん自分を愚かにしていく。




『独りの食事は味気ないからね』

『今夜は会議で遅くなりそうだ。先に休んでるといい』

まるで大事にされてると錯覚しそうな言葉に、返せるのは悪態しかなかったけど。










そうして5日目。

昨日の夕方、一緒に市場で買い物をしたおかげで冷蔵庫の中身も人並みとなり、

エドが今日はシチューでも煮るかと材料を並べていた矢先。


……玄関のベルが鳴った。




「なんだよ、今日はちょっと早いな」

昼に大佐が帰ってきたのだと疑わず、急ぎ足で玄関の扉を開ける、が。



「………っ」

エドの声がつまる。

体温が一気に下がり、ノブを握った手がカタカタと震えた。






「確認もせずに開けるとは、相変わらず迂闊のようだね。鋼の錬金術師くん」



そう。そこに立っていたのは、忘れ去りたい存在。






隻眼の……支配者だった。





     

 

 

次かその次あたりでR入ります。たぶん。
ごめんよ、エド。





鳥籠レベルの悲

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